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センチメンタル

ずいぶんと長い間、その人の名前を思い浮かべるだけで涙が出てくるというくらいに想っていた人がいて、で、全然縁がなくなってしまってから20年くらいの時間が流れて、去年ふとfacebookで再開したわけなのですが。

もともとマッチョな考え方の部分が見え隠れする人ではあったのだけど、その縁がなくなっていた長い長い間に、私の中での彼の人間像は美化されていて、そして現実の彼はマッチョな部分が大きくなっていったようだった。(なんかいわゆる九州男児の悪い面みたいなのが典型的に出ているというか)
まあ彼も家庭を持って、昔と同じではないのはわかるのだけれど。というか、昔の私が彼をどのくらい知っていたのかもこうなってくると疑問なんだけど。

某テレビでの竹田某の発言に対する抗議の文章をシェアしたところ、そこについた彼のコメントが、なんというかすごく読んでいてつらくなった。

在日が抗議活動を起こすのは藪蛇になっていろいろ暴かれ、静かに日本に同化している在日にとっては迷惑なものだろうとか、在日が嫌われるのは朝鮮民族だからではなく云々とjか。

あたしはミョンス先生についてもそのマッチョさに多少の嫌悪感を覚える部分があって現在はツイッターではフォローしていないのだけど、それでも先日の朝日新聞に載ったミョンス先生の同調圧力として現れる差別についてはものすごく深くうなずいたものでした。

その後だっただけに、「権利を主張する在日」と「地域に溶け込んでいる在日」という対立構図を描き、前者を後者に対して迷惑なものとして扱うあの人の考えに、なんかもう埋められない深い溝を感じてしまったのでした。

とまあ、いい歳して昔の片思いの相手について愚痴ってみました。

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by quix-que | 2013-10-28 16:26

電力不足に関して、今思うことなど。

ここに書くことは基本的には素人の戯言ですから突っ込みどころは多々あるでしょうがご容赦ください。

バブルの頃って私の印象ではものすごくエネルギーとか無駄遣いというか、大量に消費することが正義!みたいな時代だったと思っていたし、その後の20年くらいで省エネ技術もすごく進んだし、デフレで消費は低迷していて社会全体が活気がない、というのが一般的な常識みたいなものだから、

*バブル時代=現状の発電量から原発依存の30%を除いた発電量でまかなえていた時代

というのは、相当びっくりする話だったわけです。厳密な分析は不明だけどとりあえず数字としてはそれらしいものが出てるみたいです。

まあ、これ以前にも、「そもそもオール電化とかやってなけば計画停電なんか必要なかったんじゃないの?」とか、「そもそも計画停電自体が、『原発ないとこんなに困りますよ』的なおどし」だという声もちらほらと聞こえてはいたのではありますが(←さすがに、営利事業がそれをやりはしないだろう、と思うけど)。

まあとにかく、今の「電力不足」は、電力会社自体が「電力をより沢山使わせようと消費者に働きかけた結果」であることは言えるような気がする。必要に迫られて電気需要が増えた、というよりは、営業的に需要が作り出されている、というような。

(ちなみに、「毎食後に歯を磨きましょう」なんていうのも、一説によるとハミガキ会社が需要を増やすための営業的なアレだった、とかいうのをここで連想したりしなかったり。私が子どものころは「夜のハミガキキャンペーン」とかいって、「朝だけでなく夜も磨きましょう」だった(つまり、朝しか磨かない人がほとんどだった)のが、いまやオフィスでもランチの後はハミガキする人がかなりいるし、それ用のコンパクトな電動ハブラシなんてのもできているわけで)

まあ、で、この「需要を作り出す」がなぜ必要だったのか、というと、まあもちろん電力会社も営利事業ですから利益が沢山上がったほうがよいのと、一方でインフラだから勝手に値上げとかもできない、とかいう事情を勘案すれば「販売量を増やす」が一番手っ取り早い、ということなのだろうけれど。
(たとえば、オール電化については「ガス会社の利益を横取りするもの」的なことは言われてますね。で、ガス会社の側も妻夫木にCMさせたりして抵抗してるわけですが)

さらにそれをつきつめると、原発は出力調整が難しい、電気はためておけない、っていうのがあると思うわけです。ピーク時の電力供給にあわせて発電をしていたら、ピーク以外のときは電気があまるわけで、この余りを減らすことは経営効率を上げることに直結しているわけで、なのでオール電化だのなんだのってやったのだろう、ということは想像ができるわけなのですが。

(ちなみに、最近話題の揚水発電ですが、それはこの「ピーク時にあわせて発電しているためにあまってしまう電力を、効率は悪いけど取っておくための方法」なわけです。東京電力は御巣鷹山の下のへんに、完成したら世界最大級となる揚水発電所を持ってます)

つまり、そうまでして電力需要というのは「作り出されてきた」わけですよ。そしてそのわざわざ作り出された部分がなければ、そもそもいまある原発がないものと考えた場合の電力供給量でまかなえたのではないか、という。

こういうのが後知恵的にしか出せないことについては非常に忸怩たる思いなのですが
(しかし、「石油の枯渇」「資源を大切に」などといいつつ、なんで明らかに電力需要を増やすことになる「オール電化」なるものを推進しているのか、について疑問を感じて来なかったわけではありません、と一応言っておく)

とにかく、現実の「電力供給量不足」とは、実は電力会社自体が必要以上の部分までをも「必要不可欠」であることにしてしまったことによるツケ」である可能性が大だと思うわけです。で、そのツケを、「アンタだって便利に電気使っていただろ?今の生活レベル落とせるの?」的に、あるいは「停電したら人が死ぬよ?自宅で人工呼吸器使ってる人やたん吸引してる人が信者ってもいいの?」的に言ってしまうことに、ものすごく抵抗感じるんですよ。
(ここらへんについては、私よりもちゃんと説明できる人が沢山いるので、深入りしないけど)

(ちなみに、数年前にガステーブルを取り替えたのですが、その時にIHにすることを考えなくもなかったです、実は。まだ当時は母も存命だったし、事故とか考えると電気のほうが安心かもしれないとは思った。ただ、母の認知症はかなり進んでいたので、自分で料理をすることはもうないだろう、というのがひとつと、鍋を買い換えるのがめんどくさいというのと、最大の理由は「停電の時にお湯も沸かせないのはダメだよ」ということで、ガステーブルにしたのでした)

4月ごろからダラダラとおもいつきで書き足していったのでまとまりありませんが、いつまでもほっておくのもなんなので、ここらへんでとりあえず公開にします。まあ、また思いついたら書くということで。

--*

追記。「省エネルギー・省電力でない、電気を湯水のように使うライフスタイル」というのが、実は電力会社主導で作り出されてきた、ということを考えれば、それによって利益を得てきたところが電力不足についてはまず第一義的に責任がある、と思う。ちなみに化石燃料の枯渇だのCO2排出だのの点でいえば、確かに火力発電はそれらに対してマイナスに働くかもしれないけど、化石燃料全体の消費量とかCO2全体の排出量とかに占める火力発電の占める割合というものも勘案すべき。
なんかこのところの反反原発の人たちの「火力発電にしたら石油がーCO2がー」っていうのは、まるで石油が発電にしか使われてなくてCO2は火力発電所しか出してないみたいな言い草なので、そこらへんも実はひっかかってるところだったり。

さらに追記。「電力を使ってきた責任」は、電力会社の言い値で電気料金を払っていることで果たしている、と考えることも可能、というか、発電方法の選択やさらには電力会社の選択の自由が全くない状況では、それ以外のところにまで利用者の責任を拡張させるのは、いくらなんでも無理筋だろう、と思う。

さらに蛇足のような追記。今の発電のしくみというのが、ほぼ「なんらかの熱源を利用して水を熱し、その蒸気圧によって発電機を稼働させる」というものである以上、熱を電気に換えてそれを更に熱に換えて利用する、というのは(暖房とか調理器具とか)、電気を熱にする効率がいくらよくなっても、直接熱を利用するのに比べるとどうしたってロスが大きい。「オール電化=省エネ」というふれこみが欺瞞的だと思うことの一つはここにもあります。
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by quix-que | 2011-05-26 14:04 | もの申したいこと

タイガーマスクとベーシックインカムとチャリティと自己責任についてだらだらと考えたこと。

伊達直人現象とか言われていたのがタイガーマスク運動とか呼ばれるようになった。

朝日新聞のBeに載っていたマンガで、一度に六個もランドセル買おうとするオジサンを店員が「孫が六つ子」「いや双子が三組」とか言ってるんだけど、あーそうだよなー一度にランドセルを二つ以上買うって相当珍しいことだろうから店員は覚えているだろうなとか考えて、でもってその視点はなかった漫画家ってすごい、とか思ったんだけどそんなことはどうでもいいんですが。

ここしばらくずっと考え込んでしまっていること。

アメリカで、社会保障制度が不十分であることを寄付とかチャリティとかが補っている状態を、(それに比べれば)制度が整っている国である日本に住みその恩恵を受けている自分は、「政治がサボってるツケを個人の善意に頼るような社会は不健全」っていう風に考えてきたわけですよ。でもってまあこれは、私が「政治(少なくとも内政)とはイコール再分配である」っていう考えの人間だから、ということでもあるわけなんですが。

でも、これってある意味、他人の善意をあてにしていない、ってことでもある。もし人が善意の存在であり、そして人が思いやりを持って生きるのが本来の姿てあるのだとするならば(というか本来人間の叡智というものは信じられるものであるはずだと私自身は考えていたつもりだったのだけど)、不完全であるにせよアメリカのやっていることのほうが人間の本来あるべき姿であり、制度的として整備しなければならないのは人が本来あるべき善意や思いやりを失っているから、と考えられなくもないわけで。

とまあ、こういうのは言葉遊びまたは思考実験でしかないのかもしれないのだけど。

ただ、アメリカ型のチャリティっていうのは、富の偏在を前提にしないと成り立たないシステムであったりするんだよね。つまり、そこで前提になっているのは、「支えあい」「相互扶助」的なものというよりは、「上位者から下位者に対する施し」なんだよね(まあこれを否定すると、ノブリス・オブリージュ的なものをも否定しないとスジが通らないような気がするので、そこもまた考えがまとまらないところであるのだが)。そしてまた、善意に頼っているということは、その時々の価値観に左右されやすい、ということでもある。そこには恣意的な(というか不公平な)選択が起きてしまう。

(今回のタイガーマスク運動というか伊達直人現象でも、個別の施設に対して寄付が行われた結果、寄付が来なかった施設の子ども達は結果的に余計に傷ついたのではないだろうか、という懸念が当初から頭の中を大きく占めていた。寄付があった施設で「(寄付の前に)うちにも伊達直人さんが来るといいね、と話していた」という話もあったし、この懸念は杞憂ではないだろうと思う)

社会制度としての福祉というのは、善意に頼らない(善意をあてにしない)ためというよりは、むしろこっちのほう、つまり「恣意性を極力排除するため」に整備されてきたんじゃないでしょうかね。とここまで考えたところで、制度がちゃんと整備されるための世論の後押しのような形で善意が発露されるという形(具体的には選挙公約として福祉の充実を上げる候補が当選してその公約が実現される)が現時点では最適な着地点なのではないだろうか、と。(なんか結局あたりまえの結論になっちゃってるな)


で、話をタイガーマスクに戻すわけですが。これについて産経新聞は「心温まる日本人の優しさ」という見出しで「主張」(他紙で言うところの社説)に書いていた。内容は私は読んでないのですが、twitterでwanshan0508さんが教えてくれたのによると、「日本人が誇ってよい奥ゆかしさと心根の優しさを示しているといえないか」なのだそうです。

おいおい、と思った。さすが産経。こういう、単発で一過性のブームに終わってしまいかねないことをことさら持ち上げて、「善意によるチャリティこそがすばらしい」「これが日本人のよさ」みたいにしてしまうのは、すなわち「困窮者の救済などというものは、制度的な解決を図るほどのことではなく、余裕のある人が善意でやればいいこと」的なミスリードを誘っていると思う。逆に言えば、これはまさに、「制度としての福祉の充実」を、(私がこの文の前半で述べたような)「人の善意をないものと考える」こと、すなわち「『日本人の誇るべき優しさの否定』につながりかねない」、と示唆しているに等しいのです。それは(ここ10何年かはやっている新自由主義的な自己責任論と考え合わせると)つまり「困窮者の救済なんていうのは政治の役割ではない」」という発想から出ているのではないだろうか、というのが、多分私が産経の見出しを見たときに感じた嫌~な感じの正体のような気がする。

…とまあ、私が感じたことだけをあんまり根拠もなくだらだらと書いてみたわけなんですが、またなんかおもいついたらそのうち追記します。

ってか、ベーシックインカム出てこないじゃん。久しぶりにこっちに書いたのに。(タイトルつけた時点ではベーシックインカムにも触れるつもりだったけど考えながら書いてたからこうなってしまいました)


追記。
タイガーマスク現象をなんだか素直に喜べなかった理由が、わたしの感じてることに割りと近いことを書いているように思ったので、トラバしてみる。
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by quix-que | 2011-01-23 04:30 | どっちかというと外の話

「人に迷惑をかける」ということ

<無理心中?>介護疲れ…妻の首絞め83歳首つり 大阪

今朝のテレ朝のスーパーモーニング(だっけ)でも話題になってたことなんだけど。

「人に迷惑をかけないようにしなさい」と子供のころから親とか先生とかに言われて育ってきた人って多いと思うんだけど、それがかえって「他人に優しくない社会」を作ってるんじゃないのかな、と思う。なんかずっと前にもこの話を書いたような気がするけど。

たとえばこの夫婦なんかも、おそらくは他人に迷惑をかけまいと夫の方がひとりでいろんなものを抱え込みすぎちゃってのことだろう。こういう悲劇が生まれてしまう家族は、ほぼ例外なく周りから孤立し、自分たちだけで問題を解決しようとしてどうしようもなくなってしまうらしい。
そこのポイントについて、テレ朝的には、「行政が、近所が、もっと目を配ってあげるべき」というまとめになっていたし、「全ての行政サービスって、受けたいと思うひとが自分から申し出ないと何もしてくれないんですよね。そうじゃなくてもっと周りが気付いてあげないと」みたいなコメントもあった。
でもね。仮に誰か気付いた人が「大変でしょう」と手を差し伸べたとしても、その手を握ることができるのかどうか。まあそういう人もいるだろうけど、一方で、やっぱり少なくない人は「自分たちでなんとかするからほっといてくれ」って言うんじゃないだろうか。

阪神大震災の被災住宅での孤独死のときにも思ったんだけど、ある年令以上の人の中にしみついた「人に迷惑をかけてはいけない」という考え方は、おそらくものすごく強い。どうもそれが今となっては、足を引っ張ることになってる側面が少なくないと思う。

でもって一方では、というかもしかしたら表裏一体のことかもしれないけど、他人から迷惑をかけられたくない、という人も増えてるような気がする。まあだれだって他人からやたら迷惑をかけられるのは嬉しいはずないけど、でもなんかそれがやたらギスギスした余裕のない社会を作ってるんじゃなかろうか、とも思う。

「人に迷惑をかけない」こと、自らを律することの大事さっていうのは認めた上で、なんかこう、もちつもたれつというか、他人に助けを求めることをもうちょっと気軽に考えるとか、他人からの迷惑にもうちょっと寛容になるとか、「美しい国」にはそういうことが必要なんじゃないだろうか。
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by quix-que | 2007-04-16 17:50 | もの申したいこと

情報量の少ないニュースだな。

一部の非営利法人を例外に 自民、天下り規制で対案
その「一部」ってのが、具体的にどういうところなのか、それを一例でいいから出してほしかったのであります。ホントこれじゃニュースとして情報量少なすぎ。

ま、それはさておき。これもmixiにいっぱい書いちゃったことなんだけど。

個人的には、そもそも同期のうち誰かが高いポストについたら他の人は(どんなに有能でも)退官しなきゃいけないシステムっていうのがちょっとヘン、と思うのだが、そこには当面手をつける気はないらしい。でもって、はみ出しちゃった人の受入先を官庁が探して送り込む、これが天下りなわけで、なんで自分でハロワとか求人広告とかで探さないで官庁が探すのか、という点もかなりオカシイとは思うのだが。まあ優秀な人間だったら在職中に関係のあった会社から引き合いがあったとしても不思議な話ではないし、能力のある人がそれを活かせる職につくのであれば世のため人のためになることでもあり悪いことではないとも思う。だから天下りが全部ダメ、というのは現実的な選択肢じゃないよな。
しかし、だ。はみだしちゃった人の受入先を、各省庁でやるんじゃなくて官庁全体で一本化してやる。それもわざわざそのための組織を作って税金で運営する、っていうのは、どう考えても納得のできる話ではない。
さらに。前述のとおり天下りといっても害ばかりではない、とはいえ、たとえば官庁の側がOBが天下った先に対して便宜をはかる、なんてことはあってはらないこと。にもかかわらず、(天下った人間が在職中に関与していた事例を除き)たったの2年たてばそれが解禁になる。

なんかさあ、なんのためにやってるわけ? 新しい天下り先を開拓するため以外のことが考えられないんだが。

誰か私にもわかるように説明してくださいませ。
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by quix-que | 2007-04-10 19:02 | どっちかというと外の話

「小さな政府」なんて税金安くなる以外になんのメリットもないのに

改革指南役も展望描けず 格差批判で竹中総務相 | Excite エキサイト : ニュース
再三書きましたが、「小さな政府」というのは、要するに税による所得の再分配機能すなわち格差の是正を、放棄するというのと同じ意味のことなわけで。それでもなんらかのメリットがあるとしたら、それは「税金が安くなる」ってことくらいしかないわけで。
小さな政府を標榜しつつ増税を既定路線とするような「改革」が認められると思ってるというのは、どこまで国民舐めてるんだよ。
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by quix-que | 2006-05-07 12:32 | どっちかというと外の話

あさましいのはどっち?

「子育て減税」本格検討へ 22日にも少子化対策会議
少子化問題のところへくっつけちゃうけど、それだけじゃなくて、耐震偽装とか、障害者自立支援法改訂とか、そういうのにも全般関係ある話。

少子化問題関連で子だくさんの仮定に補助金を出すとか、耐震偽装で公的支援を行うとか、そういうのを「弱者利権」とか呼んでものすごくめくじらをたてたがる人がいる。障害者自立支援法の自己負担導入も「受益者負担は当然」とかいう人たち。2ちゃんねるあたりではそっちの声の方が圧倒的に大きい。

そういう人たちっていうのは、要するに「(自分が納めた)税金が(自分じゃない)誰かの為に使われる」のが許せないんだろうな。でもさ、そもそも税金ってそういうものでしょ?ちゃんと小学校でも税金には所得の再配分という機能があるって習うはずなんだが。弱者に対するセーフティネットとしての支援は、利権でもなんでもなく、国家としての義務なわけであって、税金というのはそもそも最初からそういうものにも使うために徴収している筈なのです。
そこんとこ理解できないで、「税金払ってない奴のために税金使うな」みたいに言うのは、そのほうが余程あさましいと思うのだがどうよ。

(とりあえずなぐり書きで書いておく)
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by quix-que | 2006-03-12 13:13 | どっちかというと外の話

というか、よくわからないのだが。

トラックバック投票  :  格差社会

 格差は(今のままだと)広がる一方だと思う。なんか知らないけど、みなさま、「小さな政府」がいいものみたいにすっかり洗脳されちゃってるし。
そもそも小さな政府っていうのは、ムダをなくすことで行財政スリム化とかそういうモノのことを言うんじゃなくって、税金をちょっとしか取らずその代わりに社会保障も極力小さくし、税による所得再配分や生活水準の底上げを最低限にして、アメリカみたいに自己責任の範囲をうんと大きくする、ってことだから、所得の格差を広げる方向へ向かうのは当然のことだと思う。税金を無駄遣いしない、とか効率的な運用で経費削減をはかる、なんていうのは、小さな政府でなきゃできないことじゃなくて、大きな政府であっても当然に要求されること。大きな/小さな、という言葉を非常に恣意的に使うことでミスリードを誘ってきた人たちの責任は大きいよ。
 まあこれは、庶民の味方を標榜する(主に野党の)みなさんにも多少の責任が。行政のムダ使いを糾弾するのは大いに結構なんだが(というかやってもらわないと困るんだが)、それが結果的に「小さな政府」マンセーにミスリードしちゃってるんじゃないの?
 少なくとも、今みたいな高負担低福祉社会への流れのどこらへんが「小さな政府」だよ、と思う。消費税を10%にするといって「欧米にくらべれば低い」っていうが、付加価値税が高率な国はだいたい大きな政府で高負担高福祉型だと思うんだが。ホント都合いいときだけ都合いい数字をひっぱってくるなって。

 前置きはここまでにして(長いな)。
 私がわからないのは、小泉とか一部の評論家が言っている、「格差が広がったといっても、高齢者世帯が増えたから見かけ上広がっているような数字が出るだけで、実態を反映していない」っていうこと。
 まあ、若年層の中での格差よりも、高齢者の中での格差の方が一般論として大きいというのはわかる。長い年月に格差が蓄積されて膨大なものになるんだろうからね。
 でもさあ、だったとして、それは「実態を反映していない」ものなの? それこそが「実態」そのものなんじゃないの?これからさらに高齢化が進むわけだ。出生率が改善するきざしなんて全然ないからね。だとすると、これからさらに、高齢者世帯が増えつづけて、「(コイズミ言うところの)見かけ上」の格差が広がり続けるわけだよ。

 ホント、なんかもう最近のコイズミの国会答弁は「ああいえばこういう」意外に表現のしようがないのだが。
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by quix-que | 2006-02-12 12:36 | どっちかというと外の話


鶴は千年 亀は万年 シーラカンスは2億年 (c)phoque 1994-2017


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