カテゴリ:どっちかというと外の話( 122 )

科学とか技術とか。

まあ相変わらず世間ではSTAP細胞のというか小保方さんの論文の話題がつづいているわけですが。

この件については、科学リテラシーのある人とそうでない人との認識の差があまりに大きくて、そしてそうでない人の数があまりに多くて、私はそこに(久しぶりにこの言葉を使いますが)教育の敗北が見えているような気がするのです。かつてカール・セーガンが自著の中で、日本人の科学的リテラシーがうらやましい的なことを書いていたのですが、残念ながら、今の日本からそれを見出すのは結構難しくなってきつつあるように思います(いきなり風呂敷広げすぎですがまあそれは本題ではないので流します)

この件については、そもそも小保方さんが何をもってSTAP細胞と呼んだりSTAP現象と呼んだりしているのか、という根源的な疑問(そもそも「光った。STAP細胞だ」的な認識であって他の要因での発光である可能性を排除できていないのでは、みたいなこともどこかで読んだ)さえも一部からはあるのですが、まあそこらへんは私は詳しくないので他の方の書いたものを読んでいただくとして。
たとえば http://nosumi.exblog.jp/20586616/ とか。

じゃあ私に何がこの件で言えるのか、というとですね。あくまでも一般論としてなんですけど。
(ちなみに別の角度の一般論については、http://phoque.hatenablog.jp/entry/2014/04/15/141657 に書いたのでヒマならよんでね)

ある、とても貴重なものをつくろうとして、それを実際に作ることができた、とします。

それを作れたのが1回だけだったとしたら、できたのはたまたま、偶然だとほとんどの人は思いますよね。

じゃあそれが10回だったら? 10回なら偶然ではないと思うかもしれません。でも、何回もやればたまたま10回くらいできることもあるかもしれません。
では、偶然ではないことを証明するにはどうしたらいいか。それは、「この方法でやれば、この程度の確率でできる」という方法が示され、実際にその方法でやってみたら示された程度の確率でできた」場合です。

じゃあそれが200回だったら? 200回もできたのならさすがに偶然ではないと考える人の方が多数だと思います。
だけど、それが偶然でないことを証明するのならば、10回のときと同じように、、「この方法でやれば、この程度の確率でできる」という方法が示され、実際にその方法でやってみたら示された程度の確率でできた」でなければ、偶然ではないことは証明されません。
いくら実際に200回作れたといわれても、さらに言えばその結果としての200個のできたものを見せられたとしても、それだけでは「偶然できた」のと変わりはないのです、たぶん。

たぶん、と書いたのは、私は科学の専門教育を受けたことがないから、周りにいる科学を専門とする人の話とか、放送大学で「科学的探究の方法」を学んだ(ちなみに単位認定では記述試験でまるAもらったのでそれなりにいい成績だったと思ってくださいとちょっとだけ自慢)(※ちなみにですが、「生物分子と細胞の科学」というのも履修してましてこちらもまるAでした)こととかから考えているので、全然はずれかもしれないのですが。

(もしそうだったら指摘してください)

で、ですね。たとえば日本の町工場がすごい、って話があるじゃないですか。自動機械では作れない平面を人間が手作業で作ったりとか、レンズの研磨とか、金属の絞りとか、金型作成とか、そういう、職人の技術。それはそれでもちろんすごいことだし、それが実際に日本の工業技術のクオリティに欠かせないものだっていうことについては、まったく異論はないし、それらの技術や技術者または職人はもっと社会的に高い評価と高い報酬を受けられるような社会が望ましいと思っています。

じゃあ、STAP細胞を200回も日常的に作ることができる小保方さんも、同様に高い評価や高い報酬を受けるべきなのか。
(「STAP細胞が作れることこそが重要で、論文の不備云々は些末なこと」という小保方さん擁護は、つきつめるとこういうことですよね)

結論からいえば、それは違うと思います(少なくとも私はそう考えます)。なぜならば、小保方さんの研究というのは、技術を確立するものではなく、ある理論(というか仮説)が正しいこと(或は正しくないこと)を示すためのものだからです。それも、第三者によって検証可能な形で(でなければ、嘘の実験結果や観測結果をでっちあげればどんなとんでもない仮説でも証明できることになってしまいます)。そして、第三者による検証が正しく行われるために、論文はルールにのっとったものであることが求められているのです。

いやそれは科学のルールのほうがおかしいよ、論文がルールにのっとっていようとそうでなかろうと、検証可能であろうがなかろうが、実際にものができているんだから証明されているじゃないか、という人が、あるいはいるかもしれません。
たとえば、医薬品には、なぜ効果があるのか(作用機序)がわかっていないものが少なからずあります。それでもそれらの薬は有効性が認められているじゃないか、STAP細胞もそれと同じではないか、みたいなね。
でも、それは違うのです。医薬品においては、作用機序ではなく、効果が見られたという統計的な事実は検証可能です。そしてその検証によって有効性が証明されているのです。
では、STAP細胞がつくられたことは何によって証明されているのでしょうか。実際に作られたSTAP細胞によってでしょうか?しかし、STAP細胞の実物は、論文執筆者(の一部)しかそれを見た人がいません。つまり、第三者によっては実在すること自体が確認されていないわけです。
結局ここでも、第三者によって検証されていない限り、「実際にものができている・ある」と(言うのは自由ですが)認められることはありえません。ないことの証明はできませんが、それはあることを意味しません。あることを証明するのはあると主張する側の責任です。

というか、正直私は非専門家もいいところですから、自分の文章に説得力があるとはあまり思えないのでものすごくこわごわと書いているわけなのですが。

そして、ここまですべて、小保方さん側の言っていることがすべて事実である、という前提で私はこの文章を書きました。小保方さんが言っていることがすべて事実だという前提を受け入れること自体が、かなり無理やりな譲歩をした、ものすごく小保方さんサイドに歩み寄ったものである、と私は考えています。そう歩み寄ってさえ、小保方さんの主張は到底受け入れがたいものである、というのが私の現段階での結論です。

さらにいうならば、私は小保方さんサイドの言い分がすべて事実であるとは思っていません。たとえば、200回のSTAP細胞作製成功にしても、それだけ何度も作成に成功しているのであれば、「見やすいように修正」するまでもなくより見やすい画像が存在している筈(もしそのような記録をとることなしにただ漫然とSTAP細胞を作る「作業」を行っていたのであれば、それは実験とは呼べない)です。仮に200回の成功の大部分が論文執筆時より後であったとしても、記者会見の場でそれらを示すことは可能だった(実験の方法を再現可能な形に落とし込んだ記述がない件については、特許云々で明かせないという小保方さんの言い分を認めるとしても、です)にもかかわらず、それをせずに記者会見に臨んだことはすなわち、200回n成功は少なくとも第三者に検証可能な実験ではなかった、と考えることが妥当であると思います。つまり、嘘であると。

あの記者会見で、小保方さんは自らが科学者・研究者であることを否定したと思っています。そうしてまでも彼女が守りたかったものは、STAP細胞ではなく、彼女自身の「若くして理研のユニットリーダーとなり最先端研究をしている有能な私」という自己像であったというのは、言い過ぎでしょうか。
[PR]
by quix-que | 2014-04-16 15:44 | どっちかというと外の話

人の上に立つ人に求められることとは(おおげさ)

さっきこのブログを読み返していて、あたし3.11前には盛大に菅さんdisっているなあと。いや、実際さあ、首相になったころの菅さんって、なんか権勢欲に取りつかれたみたいですごくいやだったのですよ。

今となれば、それも、思うように動かない(どころか、逆にこっちを動かそうとしている)官僚に業を煮やしてというか、イライラさせられ通しだったのだろうとか想像できるわけですけどね。

そして、それでもなんとか打破して動いた結果が、福一のベントであり、東電撤退拒否だったわけです。
それだけでも私は、あのときの首相が菅さんでよかったと心の底から思っているのです。
(仮定の話ですけど、自民党首相であれば東電の言うままになっていた可能性は高いと思うし、鳩山さんだったら、あるいは野田さんだったら、官僚にいいようにいいくるめられていたのではないかと)

で、さて。今回の大雪災害ですが。

安倍ちゃんが陣頭指揮とったところで何もできない、とか、ちゃんとスタッフが動いているのだから対策本部に詰めていなくても連絡の取れる場所にいればいいのだ、とか、それは一応正しい。正しいけど。

でも、あの首相動静はどうかと思う。来客がなく特に何もせずに一日家にいて、その後支持者と会食、ですよ。せめて、「大雪の影響について報告を受けた」とか「緊急の対策をとれる準備をしておくよう指示をだした」とかの一言があったらだいぶというかかなりというか全然違ってたのではないか。緊急事態が起きているので会食の予定を延期したとかだったらbetterだけどそこまではまあ求めない。

つまりそういうことなんだ。あれを「天ぷら食べたら批判された。じゃあなんだったらいいのか?塩むすびか?」とかバカなことを言って反論したつもりになってる人とかもいるけど、批判してる人(の多く)は、「雪で大変な思いをしている人もいるのにのんきに高い天ぷらかよ」と言っているのではなくて、大変な状況になっている人がいるのに、そっちに向けて何かのアクションをするよりも、「支持者と会食」つまり自分のお仲間お友達、自分をいい気持ちにしてくれる人とのおつきあいを優先させた、ってことが批判されてるわけですよ。

要するに、「あなたはどっちを向いて政治をしているのですか」ってことなのです。それが端的に表れてしまったのが、今回の出来事だったと思います。
[PR]
by quix-que | 2014-02-18 10:16 | どっちかというと外の話

京都大学入試問題投稿問題などにかんすること。

もうあらかた意見って出尽くしているけど。でもって、私自身も、ツイッターだのはてぶだので100回くらい同じことを言い続けているので多分だらだら書くことになるけど。

この件を「偽計業務妨害を調べてみたらカンニングだった」的な理由づけをして「逮捕は正しい」とする意見というのが一方にどんとあって、(東大の玉井教授とか)

もう一方には「あくまでも大学入試における不正行為であり、大学自治の範囲内で処分すべきこと」という意見がある。(慶應の中村教授とか)

で私は後者なわけ。
っていうか、これもツイッターでは言ったことだけど、

たとえば入試問題を入手した手段が不正なもの、横領とか窃盗とかであったのならば、もちろんそれは罪に問えるよね。
または、試験開始前に漏洩・公開しちゃったら、それは多分間違いなく業務妨害になるだろうと思う。

だけど、このケースでは試験問題は受験生として、正当に入手したもの(入手という言い方が正しいのかどうかはわからないけど、少なくとも問題の内容を知り得る正当な権利を有する立場とはいえる)。

それと(これはテレビで何度も見たけど)中学入試なんかでは試験問題を試験開始と同時に塾の先生が入手して試験終了までに模範解答を作成する、なんて普通にやっていること(でもって先生が問題を時間内に解けないとかいう笑い話になったりもしていた)。つまり試験が開始してしまえば試験問題が受験者以外に公開されることが業務妨害であるといえる可能性はほぼないといっていいんじゃないだろうか。

となると問題になってくるのは、入試問題の公開じゃなくて、合格者判定にかかわる部分に対する影響になってくるわけなんだけど。その部分は(不正行為の有無の検査を含めて)入試の本来業務それ自体。
それを考えると、やっぱりこれは、あくまでも大学入試のルール破り、でしかないと思う。

それでも、「いやしかし、発覚の時点では、組織犯罪の可能性も内部犯行の可能性もあったのだから逮捕は正当」という人もいる(私もいわれた)。

でもそれおかしいでしょ。逮捕状が出た、というか逮捕状が請求された時点では、受験生の、単独行為であったことはわかっていたわけで、つまり組織犯罪の可能性も内部犯行の可能性もその時点では消えていたわけで。つまり、逮捕状が出た時点では、「単なるカンニングであったことはほぼ確定」していたわけで。そして、単なるカンニングであるのならば、大学側は入学に関する合否判定を適正に行えば「不正によって受けていたかもしれない損害」は回復可能なわけで。

で、そもそも逮捕って、逃亡や証拠隠滅のおそれのある場合以外にはしないのが原則だったりするんじゃなかったっけ?この受験生は一時行方不明になっていたとかのことなので、それが逃亡と判断されたのかもしれないけど、にしても、身柄を拘束しなければならないほどの重大犯罪なのか(そもそも犯罪なのか?)を考えると、やっぱり逮捕には正当性はないと思うわけですよ。

大学入試のルール違反に対しては、大学入試のルールにおける処分、つまり失格、それで不十分だというのならば今後何年か同じ大学を受験できない、とすれば十分ではないのか、と。
(これは多分、何年か前の韓国での入試カンニングで逮捕者が出たときにも言ったと思うけど)

で、ここからはヨタ。(まあ全体が戯言っちゃー戯言だが)

そもそも、大学入試ってそんなに厳密に公正なものなのか、ということからして私にはギモンだったりする。じゃあAOとか推薦とか、内申書にゲタはかせるとかそういうのはどうなのさ、みたいな。これは都市伝説かもしれないけど、マンモス大学だと時々試験当日に欠席したにもかかわらず合格する人がいるとかいうし。

だから入試に対して、過剰に厳密な公正さを求めている人は、AO入試とか推薦とかにも反対すべきだと思う。でないと筋が通らない。

私は厳密な公正さなんてないと最初から思っているので、そんな主張はしませんけどね。
[PR]
by quix-que | 2011-03-08 15:41 | どっちかというと外の話

言葉の重みと行動の重み。

歴代首相の中で、ワーストが鳩山前首相で、現職の菅首相を大きく引き離しているのだそうだ。

うーん、理解できない。なんで?

個人的には、鳩山は菅に比べちゃトリプルスコアでマシ、だと思うのです。で、それをはてなブックマークのコメントで書いたのだけど、そうしたら、「鳩山が菅よりマシとかありえない、鳩山の言葉の軽さは病的」とか言われてしまったのだけど。

それは違うような気がするんだよなー。

確かに鳩山は言葉は軽い。でもって浮世離れしている。政治家が浮世離れしているのはある意味で致命的ともいえるわけなんだけど、でも、一方では、あまりに世間ズレしすぎていて現実的であるよりは、理想化肌であることが求められる面というのも政治家にはあるわけで、それを考えると浮世離れも全く悪いことだけ、ってことはない。言葉が軽いのも、考えが柔軟でフットワークが軽いことの反映だといえなくもない。

(ちなみに、小泉が「ブレない」と高評価であることに対して私が「それは違うだろ」とずっと言い続けてきたのは多分このブロクの昔のエントリをみれば書いてあると思う。そもそも小泉の言葉だって軽かったと思うのだがそれはさておき、ブレないことそれ自体は別によいことじゃないよ)

まあ、鳩山の最大の問題点は、責任感が希薄に見える、ってことだと思うしそれについては私も弁解の余地はないと思うのだけど、言葉が軽いなんていうのは(鳩山方向の軽さは)それほどたいした問題じゃないと思うわけです。現実問題として、自民党の首相にだってあの程度の人は(前述の通り小泉の言葉だって相当に軽かったということも含めて)いくらでもいたわけで。多分浮世離れ方面のバイアスがかかっているせいで実際以上に軽く感じられているっていうことなんじゃなかろうかな、と。

で、菅だけど。

私が言いたかったのは鳩山擁護というよりはむしろ、「みんな菅のダメ首相ブリを甘くみてない?」ということです。市民運動出身者であるにもかかわらず、権力を手にしたとたんに市民感覚をかなぐり捨てたというかそっぽを向き、権力者である自分を正当化することばかり。やらないといっていた消費税増税も、正当性がないと批判していたはずの法人税のみ減税も、おまけに武器輸出の可能性を検討する、まで言い出す内閣。まあ全部が菅さんの言い出したことではないにせよ、最終決定をくだす立場にあるのは言うまでもなく首相なわけで。

しかし、問題なのはそれでも菅さんはワーストじゃないんだよなあ。ワーストはわたし的には小泉。

…とここまで書いたところで放置しておいたら前原さんがやめちゃったわけですが。それについてはまた後日ということで。
[PR]
by quix-que | 2011-02-19 00:47 | どっちかというと外の話

タイガーマスクとベーシックインカムとチャリティと自己責任についてだらだらと考えたこと。

伊達直人現象とか言われていたのがタイガーマスク運動とか呼ばれるようになった。

朝日新聞のBeに載っていたマンガで、一度に六個もランドセル買おうとするオジサンを店員が「孫が六つ子」「いや双子が三組」とか言ってるんだけど、あーそうだよなー一度にランドセルを二つ以上買うって相当珍しいことだろうから店員は覚えているだろうなとか考えて、でもってその視点はなかった漫画家ってすごい、とか思ったんだけどそんなことはどうでもいいんですが。

ここしばらくずっと考え込んでしまっていること。

アメリカで、社会保障制度が不十分であることを寄付とかチャリティとかが補っている状態を、(それに比べれば)制度が整っている国である日本に住みその恩恵を受けている自分は、「政治がサボってるツケを個人の善意に頼るような社会は不健全」っていう風に考えてきたわけですよ。でもってまあこれは、私が「政治(少なくとも内政)とはイコール再分配である」っていう考えの人間だから、ということでもあるわけなんですが。

でも、これってある意味、他人の善意をあてにしていない、ってことでもある。もし人が善意の存在であり、そして人が思いやりを持って生きるのが本来の姿てあるのだとするならば(というか本来人間の叡智というものは信じられるものであるはずだと私自身は考えていたつもりだったのだけど)、不完全であるにせよアメリカのやっていることのほうが人間の本来あるべき姿であり、制度的として整備しなければならないのは人が本来あるべき善意や思いやりを失っているから、と考えられなくもないわけで。

とまあ、こういうのは言葉遊びまたは思考実験でしかないのかもしれないのだけど。

ただ、アメリカ型のチャリティっていうのは、富の偏在を前提にしないと成り立たないシステムであったりするんだよね。つまり、そこで前提になっているのは、「支えあい」「相互扶助」的なものというよりは、「上位者から下位者に対する施し」なんだよね(まあこれを否定すると、ノブリス・オブリージュ的なものをも否定しないとスジが通らないような気がするので、そこもまた考えがまとまらないところであるのだが)。そしてまた、善意に頼っているということは、その時々の価値観に左右されやすい、ということでもある。そこには恣意的な(というか不公平な)選択が起きてしまう。

(今回のタイガーマスク運動というか伊達直人現象でも、個別の施設に対して寄付が行われた結果、寄付が来なかった施設の子ども達は結果的に余計に傷ついたのではないだろうか、という懸念が当初から頭の中を大きく占めていた。寄付があった施設で「(寄付の前に)うちにも伊達直人さんが来るといいね、と話していた」という話もあったし、この懸念は杞憂ではないだろうと思う)

社会制度としての福祉というのは、善意に頼らない(善意をあてにしない)ためというよりは、むしろこっちのほう、つまり「恣意性を極力排除するため」に整備されてきたんじゃないでしょうかね。とここまで考えたところで、制度がちゃんと整備されるための世論の後押しのような形で善意が発露されるという形(具体的には選挙公約として福祉の充実を上げる候補が当選してその公約が実現される)が現時点では最適な着地点なのではないだろうか、と。(なんか結局あたりまえの結論になっちゃってるな)


で、話をタイガーマスクに戻すわけですが。これについて産経新聞は「心温まる日本人の優しさ」という見出しで「主張」(他紙で言うところの社説)に書いていた。内容は私は読んでないのですが、twitterでwanshan0508さんが教えてくれたのによると、「日本人が誇ってよい奥ゆかしさと心根の優しさを示しているといえないか」なのだそうです。

おいおい、と思った。さすが産経。こういう、単発で一過性のブームに終わってしまいかねないことをことさら持ち上げて、「善意によるチャリティこそがすばらしい」「これが日本人のよさ」みたいにしてしまうのは、すなわち「困窮者の救済などというものは、制度的な解決を図るほどのことではなく、余裕のある人が善意でやればいいこと」的なミスリードを誘っていると思う。逆に言えば、これはまさに、「制度としての福祉の充実」を、(私がこの文の前半で述べたような)「人の善意をないものと考える」こと、すなわち「『日本人の誇るべき優しさの否定』につながりかねない」、と示唆しているに等しいのです。それは(ここ10何年かはやっている新自由主義的な自己責任論と考え合わせると)つまり「困窮者の救済なんていうのは政治の役割ではない」」という発想から出ているのではないだろうか、というのが、多分私が産経の見出しを見たときに感じた嫌~な感じの正体のような気がする。

…とまあ、私が感じたことだけをあんまり根拠もなくだらだらと書いてみたわけなんですが、またなんかおもいついたらそのうち追記します。

ってか、ベーシックインカム出てこないじゃん。久しぶりにこっちに書いたのに。(タイトルつけた時点ではベーシックインカムにも触れるつもりだったけど考えながら書いてたからこうなってしまいました)


追記。
タイガーマスク現象をなんだか素直に喜べなかった理由が、わたしの感じてることに割りと近いことを書いているように思ったので、トラバしてみる。
[PR]
by quix-que | 2011-01-23 04:30 | どっちかというと外の話

他人事ではない。

<秋葉原殺傷>トラック「四十数キロで突入」…容疑者供述 [ 06月18日 02時30分 ]

便宜上ここにぶらさげますが、本文とはあまり関係なく、秋葉原の事件全般について。

事件に関しては既に沢山の意見だの見解だの解釈だのがあって、それらに付け加えるようなことは今さら特にないと思っていたのだけど。前々から凶悪事件のたびに卒業文集だの作文だのを持ち出す馬鹿らしさについては繰り返し書いてきたしね。

でも、いっこだけ。

この事件に関する某ワイドショーでの、主婦から寄せられたFAXの内容、というのが、個人的には超ビックリだった。でもって、自分がずっと疑問に思ってきたいくつかのことがなんとなく合点がいった、というか。

主婦のFAX の内容は、「子供の作文や絵を親が書く/描くのはあたりまえ。そうしないと子供はいい成績がとれず、学校で落ちこぼれになる」というもの。もちろん、加藤容疑者とみられる掲示板の書込みにあった「親が書いた作文でいい成績をとった」云々の記述に対して寄せられた意見。ちなみにこの主婦はそう書いたあとに、「それが子供にとってよくないことなのかもしれないと反省した」とは書いてあったんだけど、

これ、本当にこの通りに「あたりまえ」のことなんだとしたら、ものすごーく由々しき問題ではないだろうか、と思った。算数の宿題を親が手伝う、というのとは話が違うもん。
自分はたまたま子供のころから作文が得意だったり、絵も全国展で入賞したり、という人だったのだけど、それは勉強ができること(中学までは上位レベルだった)よりもよほど、自分にとっては自信につながっていた(今でこそ「絵を描くのは好きだけど絵心がない」ということを自覚して凹んだりしているけど)。

自分が書いたのではない作文で自分が褒められること、もしかすると最初は単純に、
「褒められたこと」自体が嬉しくてそれが自分の書いたものではないことはどうでもいいと思うのかもしれない。人によっては、褒められたことで自信がついて、本当に作文が好きになったり得意になったりしていくのかもしれない。だけど、作文を書くということから切り離されて、褒められたことによる過大な自己評価と万能感だけを増大させてしまうとしたら。

もちろんその過大評価も万能感も、当人に対する客観的評価とは食い違うわけで、そこで気が付いて自分を客観的に見られるようになればいいけれど、少なくない人間が「他人が自分を低く評価するのは不当である」と思って社会に対する不満を募らせたりするとか、もっと追い詰められた状態になってから実は自分に自信を与えていたものが自分自身のものではなくて親が作った虚構であったことに気が付いて親を恨んだりとか、そういう他罰的な方向へと向かってしまうのではないだろうか。

書いてみるとわざわざ書くほどでもないありきたりのことになってしまったような気がする。
[PR]
by quix-que | 2008-06-19 09:18 | どっちかというと外の話

内閣支持率を上げるための秘策(うそぴょん)

<パンダ>リンリン天国へ…ファンが別れの言葉 上野動物園 [ 04月30日 22時05分 ]

福田康夫が温家宝に土下座して「パンダください」ってやればいいと思う。それでもしパンダもらえれば(レンタルじゃなくて)とりあえず一時的に支持率は上がるでしょ、ほんのちょっとくらい。

つか、どのみち死に体内閣で、なにひとつ(本当になにひとつ)ロクなことはできないままおそらくこのまま政権から去るのだったら、そのくらいのことでもやって歴史(上野動物園の)に名前を残せばいいと思う。どうせすぐ辞めるんだから土下座したことなんかみんなすぐ忘れるし。

だってさ、後期高齢者医療の問題なんか、お年寄り連中の大好きだった「コイズミさん」が決めたことだって、だれも覚えてなくて、全部福田と舛添のせいにされちゃってるくらいだもん。

つか、アドベンチャーワールドのメイメイ母さんがあれだけ子育て上手でポロポロ子供産んでくれるんだから、一匹くらい御礼としてくれればいいのにね&和歌山の環境がとっても気に入ってるらしいメイメイ夫婦は、ずっと永久に和歌山にいさせてあげればいいのに。
[PR]
by quix-que | 2008-05-01 09:02 | どっちかというと外の話

怒りの鉾先はそれであってるの?

いやー久しぶり。で、今日ですから書くことは当然アレです。長野でやったアレ。

もうあれは全然「聖火リレー」ちゃうでしょ、というのはみんな思うことだからさておき。またこういうことを書くとやっぱりphoqueはサヨだとか売国とか言われちゃうのかもしれないが。

チベットの旗振って「FREE TIBET」って叫んでる人たち、あの中の何割が本当にチベットの自治独立を支持しているんだろうか。確かに中国のやってることは、私達から見たら到底理解しがたいことだというのはわかるし、それに憤りを感じるっていうのもまあ当然かな、と。でもさ、チベット問題を「中国にイチャモンつけるいいネタがあった」程度にしか考えてない人間があの中にかなりの割合でいるんじゃないだろうか、と思う。

チベット問題を国内問題だとする中国のいい分は、コソボ独立に関するセルビアのいい分とか、チェチェン独立に関するロシアのいい分と大差ない。武力弾圧の規模なんかチェチェンの方がおそらく数十倍上だしね。だけど、FREE TIBETを叫ぶ人たちのうちどのくらいが、その事実に関心を持つだろうか。

餃子事件とかあったから中国に対する悪感情が(通常よりさらに)盛り上がっているのはわかるが、だとしても、そのはけ口というか口実にチベットを利用するのは、なんというかチベットの人たちに対して失礼だと思うわけ。

とはいえ、まあ対外的には、日本の庶民も(世界の流れに違わず)自由と人権を尊重して圧政と弾圧に抗議する、っていう形式だけは整ったわけだけどさ。

でも、ここが一番思うところなんだが、抗議運動やるんだったら、まず自分の国の政府に対してやるべきことが沢山あるんじゃないのかな。よその国に対する抗議のときだけものすごく盛り上がって、自国の政府の圧政暴政にはなんにも言わないなんて、それこそ(ネットウヨのみなさんの大嫌いな)中国国民の行動とあんまり変わらないような気がするんだけど。
[PR]
by quix-que | 2008-04-27 03:07 | どっちかというと外の話

9・12 そのとき歴史は立ち止まった。のか

だから安倍には総理なんて無理だってあれほど言ったのに(嘘だと思うならこのブログを過去に溯ってくださいね)。それにしても、ここまで狙い済ましたように最悪のタイミングで辞めるっていうのは予想外というか、想像を超えて凄い。まあ今やめなかったらけっこうな確率で松岡某のあとを追っていたような気がしないでもないのだが(病苦もあるしね)。ちなみに自殺の危険に関しては、総理辞めるからってすぐ重圧から開放されて危険度が下がるとも言えないので、側近のみなさまがたはこれからしばらく要注意だと思いますね。

Excite ニュース :<安倍首相辞任>麻生氏が後継出馬へ 小泉氏要請の動きも

結局のところ安倍の居座りを容認した上に幹事長という支える立場についていたわけなのだから、麻生さんには総裁になる資格はないと思う。おそらく2ちゃんねるあたりでは麻生待望論がたくさん起きているだろうと思うんだけど、それって、「対北朝鮮で威勢のいいことを言う」というアサハカ極まりない理由で安倍を熱狂的に支持したことがどういう結果を産んだのか、から何一つ学んでいないってことだと思う。
要するに麻生支持の理由の大半は「(いわゆる)特定アジアに対して強気」とか、それにプラスして「オタク文化に理解がある」くらいのものでしょ。まあ日本発サブカルであるオタク文化を日本のウリとして押し出すということ自体は評価できなくもないけど、単にワカモノに媚びてるんじゃないの?という疑いは拭いきれないわけであって(麻生氏自身がマンガ好きなのはホントだろうけどね)、小泉のX-JAPANと大差ないような気がする。

自民党が次の選挙を有利にすすめたいんならば小泉再登板だけど(多分民主党が一番警戒してるのもそれ)、でもそうするとまた消費税が上げられなくなって財務省が困るのではないだろうかと。

勝手に予想すると、次は町村ではないだろうかと。個人的には谷垣のほうがまだいいと思うんだけどね。
[PR]
by quix-que | 2007-09-13 09:58 | どっちかというと外の話

泥船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ

※タイトルは思いつきなので気にしないでください。しかし、泥船はヘタに漕ぐと水流のせいで早く泥が崩れて溶けるようなきがしないでもないのだが(←べ、別に「うまいたとえ話だな」と言ってもらいたいとかいうわけじゃないんだからねっ、誤解しないでよ)。
Excite news:<改造内閣>新閣僚、初の会見で身ぎれいさ強調
いや、伊吹文部大臣とか留任してるし。どうすんのさそれはさ。

まず思ったのは、多分だれがなっても何をやっても評価されることが非常に難しい貧乏クジ的な厚生労働大臣に舛添っていうのが、なんというか「ツブしにかかってるんじゃないの?」的な感じをうけますねえ。舛添さんの持論は「介護は保険ではなく税金で」だった筈なんだけど、議員になっちゃってからはそれについてあまり言わなくなったのを個人的に残念に思っていたところなんで、どう出てくるのか興味津々ではありますねえ。現行の介護保険制度がすでに破綻してるのをごまかして延命させてるだけなことはわかりきってると思うので、いったいどのような大鉈を振るうのかがある意味見もの。あと、日本の医療費がGDP比では先進国中でもすごく低いレベルだということと、それが医療費の自己負担が少なくて気軽に医者にかかれるという理由だということ、医療費の延びは厚生労働省が言うほどには全然のびてないこととかをばしっと大きく主張して、財政赤字の原因を医療費や福祉のせいにしてそこを重点に切り詰めさせるのはいいかげんやめろというあたりを言ってもらいたいんだが、これは無理だろうな。

あと、ついでに書いてしまうと、小池百合子が次の選挙では民主党から立候補しても、私は驚かない。
[PR]
by quix-que | 2007-08-28 09:01 | どっちかというと外の話


鶴は千年 亀は万年 シーラカンスは2億年 (c)phoque 1994-2017


by quix-que

プロフィールを見る

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

ブログパーツ

その他のジャンル

カテゴリ

どっちかというと外の話
もの申したいこと
スポーツ話
雑BOX
生活ねた
ネタ
ねこ話
食べるもの/ことの話
テレビっ子
モラタメ

以前の記事

2017年 11月
2017年 01月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 09月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 01月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 04月
2007年 01月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月
2004年 10月

タグ

(13)
(10)
(8)
(8)
(7)
(7)
(6)
(6)
(5)
(3)
(2)
(2)
(1)
(1)

検索