カテゴリ:もの申したいこと( 8 )

理想論だけど。

「障害は個性」っていう言葉は、好きじゃない。だって不便なだけでいいことなんかほとんどないもの。

だけど、それはそれとして、個人的に思っているのは、たとえば満員電車に乗っている人の中には、背の高い人もいれば低い人もいる。痩せた人も太った人も、荷物の多い人も手ぶらの人もいる。車いすだって、それと同じじゃないのかな。

満員電車に乗っている車いすの人は、人口比に比べるとかなり少ないと思う。だけどそれは、本来おかしい。というか、おかしいと思わなきゃいけない。もっと車いすの人が電車に乗っていてしかるべきだし、そういうのが当たり前でないといけない。

(これは車いすに限った話ではないのはいうまでもありませんが)

自分も障害者のはしくれで、障害者専門の就職支援サービスを何度か利用したけれど、障害者雇用の求人の場合も「公共交通機関での通勤が可能なこと」っていう条件がついてることが多い。そして、これがネックになっていることってたぶんかなりあるんじゃないのかな。

公共交通機関はもっとハンディキャップのある人に利用しやすくなるべき、というか、そういうのが当たり前でないといけないと思う。
建前のきれいごとなのは百も承知。だけど、こういうことを誰かが言い続けないと、この元増田みたいな声はいつまでもなくならないどころか、最近の「誰かが配慮されると自分の権利が不当に損なわれたかのごとく攻撃的になる」風潮(まあ、ネットで声のデカい人にたまたまそういうのが目立つだけかもしれないけど)を考えると増える一方かもしれない。

だから、ちょっと書いておきました。
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by quix-que | 2014-03-20 11:04 | もの申したいこと

電力不足に関して、今思うことなど。

ここに書くことは基本的には素人の戯言ですから突っ込みどころは多々あるでしょうがご容赦ください。

バブルの頃って私の印象ではものすごくエネルギーとか無駄遣いというか、大量に消費することが正義!みたいな時代だったと思っていたし、その後の20年くらいで省エネ技術もすごく進んだし、デフレで消費は低迷していて社会全体が活気がない、というのが一般的な常識みたいなものだから、

*バブル時代=現状の発電量から原発依存の30%を除いた発電量でまかなえていた時代

というのは、相当びっくりする話だったわけです。厳密な分析は不明だけどとりあえず数字としてはそれらしいものが出てるみたいです。

まあ、これ以前にも、「そもそもオール電化とかやってなけば計画停電なんか必要なかったんじゃないの?」とか、「そもそも計画停電自体が、『原発ないとこんなに困りますよ』的なおどし」だという声もちらほらと聞こえてはいたのではありますが(←さすがに、営利事業がそれをやりはしないだろう、と思うけど)。

まあとにかく、今の「電力不足」は、電力会社自体が「電力をより沢山使わせようと消費者に働きかけた結果」であることは言えるような気がする。必要に迫られて電気需要が増えた、というよりは、営業的に需要が作り出されている、というような。

(ちなみに、「毎食後に歯を磨きましょう」なんていうのも、一説によるとハミガキ会社が需要を増やすための営業的なアレだった、とかいうのをここで連想したりしなかったり。私が子どものころは「夜のハミガキキャンペーン」とかいって、「朝だけでなく夜も磨きましょう」だった(つまり、朝しか磨かない人がほとんどだった)のが、いまやオフィスでもランチの後はハミガキする人がかなりいるし、それ用のコンパクトな電動ハブラシなんてのもできているわけで)

まあ、で、この「需要を作り出す」がなぜ必要だったのか、というと、まあもちろん電力会社も営利事業ですから利益が沢山上がったほうがよいのと、一方でインフラだから勝手に値上げとかもできない、とかいう事情を勘案すれば「販売量を増やす」が一番手っ取り早い、ということなのだろうけれど。
(たとえば、オール電化については「ガス会社の利益を横取りするもの」的なことは言われてますね。で、ガス会社の側も妻夫木にCMさせたりして抵抗してるわけですが)

さらにそれをつきつめると、原発は出力調整が難しい、電気はためておけない、っていうのがあると思うわけです。ピーク時の電力供給にあわせて発電をしていたら、ピーク以外のときは電気があまるわけで、この余りを減らすことは経営効率を上げることに直結しているわけで、なのでオール電化だのなんだのってやったのだろう、ということは想像ができるわけなのですが。

(ちなみに、最近話題の揚水発電ですが、それはこの「ピーク時にあわせて発電しているためにあまってしまう電力を、効率は悪いけど取っておくための方法」なわけです。東京電力は御巣鷹山の下のへんに、完成したら世界最大級となる揚水発電所を持ってます)

つまり、そうまでして電力需要というのは「作り出されてきた」わけですよ。そしてそのわざわざ作り出された部分がなければ、そもそもいまある原発がないものと考えた場合の電力供給量でまかなえたのではないか、という。

こういうのが後知恵的にしか出せないことについては非常に忸怩たる思いなのですが
(しかし、「石油の枯渇」「資源を大切に」などといいつつ、なんで明らかに電力需要を増やすことになる「オール電化」なるものを推進しているのか、について疑問を感じて来なかったわけではありません、と一応言っておく)

とにかく、現実の「電力供給量不足」とは、実は電力会社自体が必要以上の部分までをも「必要不可欠」であることにしてしまったことによるツケ」である可能性が大だと思うわけです。で、そのツケを、「アンタだって便利に電気使っていただろ?今の生活レベル落とせるの?」的に、あるいは「停電したら人が死ぬよ?自宅で人工呼吸器使ってる人やたん吸引してる人が信者ってもいいの?」的に言ってしまうことに、ものすごく抵抗感じるんですよ。
(ここらへんについては、私よりもちゃんと説明できる人が沢山いるので、深入りしないけど)

(ちなみに、数年前にガステーブルを取り替えたのですが、その時にIHにすることを考えなくもなかったです、実は。まだ当時は母も存命だったし、事故とか考えると電気のほうが安心かもしれないとは思った。ただ、母の認知症はかなり進んでいたので、自分で料理をすることはもうないだろう、というのがひとつと、鍋を買い換えるのがめんどくさいというのと、最大の理由は「停電の時にお湯も沸かせないのはダメだよ」ということで、ガステーブルにしたのでした)

4月ごろからダラダラとおもいつきで書き足していったのでまとまりありませんが、いつまでもほっておくのもなんなので、ここらへんでとりあえず公開にします。まあ、また思いついたら書くということで。

--*

追記。「省エネルギー・省電力でない、電気を湯水のように使うライフスタイル」というのが、実は電力会社主導で作り出されてきた、ということを考えれば、それによって利益を得てきたところが電力不足についてはまず第一義的に責任がある、と思う。ちなみに化石燃料の枯渇だのCO2排出だのの点でいえば、確かに火力発電はそれらに対してマイナスに働くかもしれないけど、化石燃料全体の消費量とかCO2全体の排出量とかに占める火力発電の占める割合というものも勘案すべき。
なんかこのところの反反原発の人たちの「火力発電にしたら石油がーCO2がー」っていうのは、まるで石油が発電にしか使われてなくてCO2は火力発電所しか出してないみたいな言い草なので、そこらへんも実はひっかかってるところだったり。

さらに追記。「電力を使ってきた責任」は、電力会社の言い値で電気料金を払っていることで果たしている、と考えることも可能、というか、発電方法の選択やさらには電力会社の選択の自由が全くない状況では、それ以外のところにまで利用者の責任を拡張させるのは、いくらなんでも無理筋だろう、と思う。

さらに蛇足のような追記。今の発電のしくみというのが、ほぼ「なんらかの熱源を利用して水を熱し、その蒸気圧によって発電機を稼働させる」というものである以上、熱を電気に換えてそれを更に熱に換えて利用する、というのは(暖房とか調理器具とか)、電気を熱にする効率がいくらよくなっても、直接熱を利用するのに比べるとどうしたってロスが大きい。「オール電化=省エネ」というふれこみが欺瞞的だと思うことの一つはここにもあります。
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by quix-que | 2011-05-26 14:04 | もの申したいこと

「いたせりつくせり」なんて日本語はありません。

話題のケーキのクレーンゲームに挑戦してきた | エキサイトニュース
前々から思っていたが、エキサイトビットを書いてる人の日本語レベルってどうなのよ、というオハナシでした。

内容についてはどうでもいい。こういうどうでもいい内容をチョイスしちゃうセンスも、ちょっとどうなのよ、と思わなくはないが。
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by quix-que | 2008-08-10 05:06 | もの申したいこと

NO-GOという概念。

<ハクチョウ7羽死>男子中学生2人「ゲーム感覚で殴った」 [ 05月04日 00時07分 ]

というわけで、アンサイクロペディアに書くネタがみつからないのでブロクに逃避します。ひさしぶりに真面目に書こうと思って(つか、「オンカホウよりコキントウでしょ、というツッコミがなかったのがちょっと寂しかったので)、今日は参考文献まで用意してマジメに書きます。参考文献は『バカはなおせる』久保田競/著 ISBN4-7561-4705-4 C0040です。本屋で手に取るのを思いきり躊躇しそうなタイトルですが、まあそれはおいといて。

この本の三章に、NO-GOについて書いてあります。NO-GOとは「積極的になにかをしないこと」なのですが、これじゃ意味がよくわからないかもしれないので、説明のために補足すると、本に載っていた具体例は「赤信号を見て足を止める」というものですが、個人的には「赤上げて、白上げて」みたいな旗上げゲームで「白上げない」っていう時の「上げない」が例としてわかりやすいのではないかと。
この「理性的に判断して行動を抑制する」という場合には、脳の第八野という部分が働くのだそうですが、この能力は鍛えないと育たず衰える、のだそうです。
旗上げゲームで間違えるのって、ほとんどが「上げない」なのに上げてしまう、又は「下げない」なのに下げてしまうケースで、その逆、つまり「上げる」なのに上げないとか「下げる」なのに下げないという間違いはあんまりない、というのは、やったことのある人になら実感としてわかってもらえるんじゃないかと思うのですが、それもこのNO-GOが「訓練しないと身につかない」ということのひとつの現れではないだろうか、とこれは本に書いて有ったわけじゃなくて私の勝手な憶測(でも多分外れてないと思う)。

長くなるけどちょっと引用しますね。(p84-87)
実はこの八野を使ったNO-GO行動は、赤ちゃんでもできます。
しかし、現代では、乳幼児の頃からしておくべき「積極的になにかをしない」という教育が、明らかに欠けています。
それが、ニート、引きこもり、キレやすい人などが現代社会で増えている原因のひとつではないか、とわたしは考えます。こらえしょうがなく、道ばたに座ってモノを食べ、ゴミをその場に置き去りにするような若者が増えたのを、「ゲーム脳のせい」などと言う方もいますが、そうではなく、NO-GOの訓練不足が原因だろうとわたしは思うのです。
従来の個性を尊重する教育というのは、「やりたいことを見つけて何でもやりなさい。そして、その能力を高めなさい」というものです。最近では、そうしたことが声高に叫ばれるいっぽうで、「何かをしないのは、偉い」とは子供にあまり言わなくなりました。これがよくない。
「何々をしてはいけません」と叱るのは子供のストレスになるので、脳にはあまり良くありませんが、何かをしなかったら「ほめる」のならばいいのです。「しない」ことに達成感と喜びを伴わせましょう。すると、“しない”ことができるようになります。
(中略)
従来は、「前頭前野は、計画したり行動を起こしたりする場所」という方向性で研究が進んでおり、みなそういうものだと思っていました。ですから、脳を鍛える訓練も、そういうGOの方向性のものにかたよっていたのです。
ですので、我慢したら「ほめられる」という訓練は、昔からあまり実践されていません。そういう訓練を子供時代から積んでいれば、キレやすい人も少なくなり、我慢強い人が増えてニートの人や引きこもりの人も減るのでは、と思うのですが……。
長々と引用したのは、自分が最近の犯罪や事件の(自分からはどう考えても「ありえないほど短絡的」にしか思えない)動機について考えた場合に、一番納得できる説明がコレだったから、です。

私自身、NO-GOという概念(というか「事象に付けられた名前」)をこの本で初めて知ったわけですが、おそらく多くの人が「我慢」という言葉やその意味は知っていても、「積極的になにかをしない」という事象については、それを現す言葉もないし、あまり意識にのぼったこともないと思うのです(「不作為」も「我慢」も、「なにかをしない」ことではありますが、「積極的」という意味はあまりない)。そのこと自体が、脳の持つNO-GOの機能をおろそかにし、衰えさせているのではないだろうか、と、そんなことを考えたわけです。

で、前置きがものすごく長くなりましたが、ここで冒頭のニュース。
「ゲーム感覚」っていう例のマジックワードが出てくるわけです。これで例によって「ゲームと現実の区別がつかなくなっている」とか「リセットすれば生命も元どおりになると思っている」とかいうたぐいの「最近の若者批判」が出てくるのでしょうが、いいかげんにそこばっかり槍玉にあげるのやめましょうよ。
チューリップだのボタンだのをぶち折ってる連中もそうだけど(こっちはどうももう少し年長の人間のようだ)行動を起こすにあたって抑制のタガがかなーり緩んでいるというか、自分の衝動(感情)を行動に移す前に他への影響について考えるとかそういう理性的な判断をほとんど経ていない(いたとしても行動を抑制するまでに至っていない)ということろが問題なんだと思う(ゲームではむしろそこでは理性的な判断が要求されることが多い、というのが、実はこの本の中でも指摘されていたりするのです)。

何年か前にあったディルレバンガー事件の時、犯人の親は「猫くらい」みたいなことを言ったわけだけど、どうも今回の事件も似たような匂いがプンプンするんです。単なる情動だだ漏れ状態を「個性の発露」みたいにほめられて成長してきたことが、こういう脳の機能不全を増やしているんだろうな、と。

(もの言わぬ/抵抗できない動植物を殺めるという行為についての、共感力の不足とかそういう観点はあえて排除しました)
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by quix-que | 2008-05-04 11:04 | もの申したいこと

空気を読めない人たち

前に、いわゆるイラク3馬鹿事件について書いたときにも書いたんだけど、スキルのない人間がボランティアをすると、スキルのある人間の脚を引っ張って余計な仕事を増やし、結局のところボランティアの目的とは真逆の結果しかもたらさない。
今回のアフガニスタンでの韓国人ボランティアの誘拐というか拉致事件についても、全くもって同じことが言えるんじゃないだろうか。
そもそもね、アフガニスタンに、キリスト教団体がなにをしにいくのかと。しかも、ボランティアといいつつ、女性が集団で踊るってそれはナンなのよって。医者とか何かの技術者とか、そういう現地で必要とされている専門的なスキルの持ち主であれば、宗教の違いがあってもなんとか活動できるかもしれない。でも、そういう専門技術なしの単なる善意のお手伝い(しかも多分に布教的な意味あい)、しかもアフガニスタンのムスリムの前で女性が踊り踊るって、それはタリバンの神経を逆撫でする以外のどういう意味があるのかさっぱりわからない。もしかして、そういう予備知識もなく行ったのだろうか、あの人たちは。
そういえば、前にイラクでも、韓国人牧師と称する人が拉致されたよね。あの時も「なんで牧師がイラクに行く必要があるのか?」が疑問でたまらなかったのだが。

一応書いておくけど、タリバンのやったことを支持するつもりはさらさらない。しかしだ、タリバンが悪いということは、あの韓国人ボランティアには問題がなかったということを全然意味していない。
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by quix-que | 2007-08-05 11:50 | もの申したいこと

危機感を煽ることで得するヤツら

ずっとずっと前に朝日新聞のほんの片隅に目立たないように書いてあった記事なんだけど、「増大する医療費で保険財政が破綻寸前なので保険料を上げかつ給付水準をさげなければならない」という厚生労働省が十年一日のごとく繰り返している主張、あれは実は血行怪しいらしい。
厚労省による「○年後の医療費は今よりこれだけ増え」という試算がどうも実体とかけはなれているらしいのだ。医療費抑制策が効いたのだということを考慮にいれても、例外なく「予測される医療費の伸び」は過大に見積もられ、実情を反映しない厳しい見通しが語られているんだとか。実際の伸びは試算の30%から50%以下であることも珍しくないというのだ。
まあ「大丈夫ですよ」といっておいてあとで破綻するのよりはいいんだろうけど。
そういえば年金に関しては出生率の見積もりがいつも甘過ぎる上に給与所得の伸びもずいぶんと甘く予測してるわけで、なんかあの組織はどっかヘンだと思う。

で、本題はそこじゃなくて(前置き長過ぎるね)。

前々から薄々思っていたのだけど今日はっきりわかったこと。
民間の医療保険や入院保険の広告は危機感煽り過ぎ
入院保険とかガン保険とかの広告って「保険では3割しか負担してくれないから入院するとこーんなにお金がかかります」って危機感を煽ってるわけだけど。
そもそも、自己負担は月で7万いくらしかかからない。それ以上は高額医療助成金としてあとで戻ってくるし、戻るまでに一時的に払うお金がない場合でも貸し付けが受けられる。この制度知らない人って結構多いみたいだけど、その「知らない」ということにつけこんで、「医療費だけで月に100万かかります。自己負担は3割なので30万」なんて平気で広告するのは、はっきりいって欺瞞というかウソだと思う。
それに、休んでいる間の収入だけど、組合健保や政府管掌健保の場合には「傷病手当て金」の給付が受けられる(受けられる期間には上限があるけど)。給料の6割くらいだけどね。

まあなにがなんでも個室に入りたいから差額ベッド必須、っていう人は入ってもいいんだろうけど。
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by quix-que | 2007-04-17 13:01 | もの申したいこと

「人に迷惑をかける」ということ

<無理心中?>介護疲れ…妻の首絞め83歳首つり 大阪

今朝のテレ朝のスーパーモーニング(だっけ)でも話題になってたことなんだけど。

「人に迷惑をかけないようにしなさい」と子供のころから親とか先生とかに言われて育ってきた人って多いと思うんだけど、それがかえって「他人に優しくない社会」を作ってるんじゃないのかな、と思う。なんかずっと前にもこの話を書いたような気がするけど。

たとえばこの夫婦なんかも、おそらくは他人に迷惑をかけまいと夫の方がひとりでいろんなものを抱え込みすぎちゃってのことだろう。こういう悲劇が生まれてしまう家族は、ほぼ例外なく周りから孤立し、自分たちだけで問題を解決しようとしてどうしようもなくなってしまうらしい。
そこのポイントについて、テレ朝的には、「行政が、近所が、もっと目を配ってあげるべき」というまとめになっていたし、「全ての行政サービスって、受けたいと思うひとが自分から申し出ないと何もしてくれないんですよね。そうじゃなくてもっと周りが気付いてあげないと」みたいなコメントもあった。
でもね。仮に誰か気付いた人が「大変でしょう」と手を差し伸べたとしても、その手を握ることができるのかどうか。まあそういう人もいるだろうけど、一方で、やっぱり少なくない人は「自分たちでなんとかするからほっといてくれ」って言うんじゃないだろうか。

阪神大震災の被災住宅での孤独死のときにも思ったんだけど、ある年令以上の人の中にしみついた「人に迷惑をかけてはいけない」という考え方は、おそらくものすごく強い。どうもそれが今となっては、足を引っ張ることになってる側面が少なくないと思う。

でもって一方では、というかもしかしたら表裏一体のことかもしれないけど、他人から迷惑をかけられたくない、という人も増えてるような気がする。まあだれだって他人からやたら迷惑をかけられるのは嬉しいはずないけど、でもなんかそれがやたらギスギスした余裕のない社会を作ってるんじゃなかろうか、とも思う。

「人に迷惑をかけない」こと、自らを律することの大事さっていうのは認めた上で、なんかこう、もちつもたれつというか、他人に助けを求めることをもうちょっと気軽に考えるとか、他人からの迷惑にもうちょっと寛容になるとか、「美しい国」にはそういうことが必要なんじゃないだろうか。
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by quix-que | 2007-04-16 17:50 | もの申したいこと

腎臓移植に関して。


がん患者からの移植追跡へ 病気腎で市立宇和島病院


最近ずっとmixi日記にばかり書いてたので、たまにはこっちに。
mixi日記には前に書いたんだけど、個人的には「生体腎移植」というやつは親族間であってもするべきじゃない、と思う。(禁止しろ、とは言わないが)

だって、腎臓もらったって一生もつわけじゃなくて早かれ遅かれ透析に戻るわけで、QOLの改善といったところで期間限定なわけだ。そういう、たかだか数年間QOLをちょっとよくするだけのために他人に「腎臓が片方になる」というリスクを負わせることに疑問をもたない人がいたら、それはごう慢で不遜だと思う。
前に病気腎のニュースに関連してテレビに出ていた人は、既に2回移植をうけたがいずれも長もちせず、現在は中国で移植の準備中、と語っていた。「またダメになったら何度でも移植を受けます」ともいっていた。率直に言って、いったい自分をどれほどのものだと思い上がっているのだろうか、と思った。


ドナーが健康な場合ならもちろん、もし仮に腎臓を病んでいたのだとしても、というか、だからこそ余計に、機能を(部分的にせよ)果たせるのであれば本人の体内で機能させるべきだし、ドナー体内においておくことのデメリットが大きいのであれば当然他人の体内にも入れるべきでない(レシピエント側は不健康な臓器を体内に入れる上に免疫抑制剤の副作用という二重のリスクを負うのだし)、と思う。
透析の医療費が槍玉にあげられることが多くて、移植を推進すればそのコストが抑えられる、という考え方はあるのかもしれないけど、でもドナー側のリスクやなんかやかを考えると、トータルで見てどっちが経済的か、というのは結構微妙なんじゃないだろうか。

でもって。生体腎移植に個人的に賛成できない理由のひとつには、「不公平」がある。まあ誰だって「そういう人がいるらしい」としか知らない人間よりは自分の顔見知りの人間のほうに感情移入して、そっちの苦痛を先にやわらげたいと考えてしまうだろうけど、移植にかかわる医者がそれでいいのか?という問題。死体腎を何年も待っている人が万単位でいることについてはどう思うのだろう。この一点だけでも、私は万波医師はまったく信頼に値しないと思う。

さらに言えば。家族から腎臓をもらったことでかえって家族関係がぎくしゃくしてしまうことも少なくないらしい。特に、親から子への移植の場合、親の恩着せが重荷になり子供が精神的に追い詰められるケースは実際のところかなり多いらしい。反対のケースでも提供できなかった親族が患者に負い目を感じてしまう、ということもある。

こんなことを書けるのも、自分が透析にそれほど(というかほとんど)辛さを感じていないからなのかもしれない。でもね、なんか最近、「透析患者」=金さえあれば海外で移植を受けたいと思ってる、とか「透析患者」=万波医師擁護、自分に臓器がまわってくるチャンスが多ければそれでヨシ、みたいな感じで紹介されることが多いんで、なんかちょっとイヤだな、と思う。

私は、腎臓はどう考えても提供できないけど、臓器提供意思表示カードには腎臓以外全部脳死で提供するほうにマルつけてある。
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by quix-que | 2007-04-08 16:20 | もの申したいこと


鶴は千年 亀は万年 シーラカンスは2億年 (c)phoque 1994-2017


by quix-que

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