「夫のちんぽが入らない」についての感想など。

話題になっていた本、それも結構絶賛の嵐なので、読んでみました。
で、感想ですが。

とりあえず面白く読めたんだと思うんですよ。あっという間に読み終えてしまったし。

なんですが、読後感がものすごくモヤモヤしている。

私小説というかノンフィクション的なエッセイ的なものなのでしょうが、これが全部事実であると想定して。

筆者は、自分のことをものすごくダメな人だと思っているわけです。最終的には、不満がないわけではないがある程度幸せであるというところで自分を肯定しているようなのですが。

なんだけど、そもそもこの人、自分のことをダメな人だと思っているにもかかわらず、想う相手から想われてその相手と結婚してるわけですよ。結婚生活が順風満帆ではないにしても、とにかく「想い想われる相手、自分の良さを理解してくれる相手と、家庭を作る」ということができているわけです。

それって、自分にはどんなに望んでも手に入れることができず、今後も絶対に手が届かないもの。

彼女が彼女自身のことをダメな人間であると書けば書くほど、そのダメな人である彼女にさえ得られた幸せがえ、自分には到底手がとどかないものであることについて、傷口にサンドペーパーをかけられるような痛みにさいなまれるのです。

多分だけどそれは、この本が悪いのではなくて、私の側の問題であるのだけれど。

多分だけど二度と読み返すことはできないと思います。そのくらい、私個人にとっては、「辛い本」でした。



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# by quix-que | 2017-01-23 13:53 | 雑BOX

さらばアンサイクロペディア、にはしたくない。

結構長いことアンサイクロペディアの管理者をやってきていたのだけど、一昨年くらいから投稿の頻度が落ち、去年あたりは閲覧もめったにしなくなり、管理者も休職扱いとなっているのですが、それはさておき。

久々にアンサイを覗いてみて、ちょっと悲しくなった。とある古参ユーザーが書いていた記事のことである。

もともとこの人は現在進行形の出来事についてノリノリで長い記事を書くタイプの人ではあったのだけど、それがプラスになることも少なくはなかったとはいえ、時々は独りよがりになっていた、と思う。ただ、それを独りよがりだと感じるのは私だけの個人的な感覚なのかもしれないとも思ったし、何よりその人は量産型の貴重な書き手、それも私よりは表かの高い書き手であったために、批判をすることははばかられた。要するに何も言えずにいたわけです。

でも今回、久しぶりにアンサイを見て(というかだいたいは「最近の更新」しかチェックしないのだが)、たまたまその人の新規記事が目に入ったのだけど、タイトルを見て、すごくいやな予感がした。そして中を見て、いやな予感は的中というか思っていたのよりさらにいやなシロモノだった。でもって、この人の特徴として、長くなりすぎると分割というか派生記事を書くわけだけど、今回もそれ。よほど書いてるのが楽しいのか、数千バイト単位の加筆を日に複数回している。

まあね、朝日新聞の一連の誤報問題はおちょくるには面白いかもしれませんよ確かに。でも、それを書くのに、ああいう直截な表現で批判するのは、それはアンサイの記事じゃないでしょう。朝日新聞批判がやりたいのなら、アンサイの記事でダラダラやらずに、自分でブログ立ち上げてやってくれないかなあ。

しかもね、結局彼の記事の論調は、ネトウヨさんたちとあまりというかほとんど差がないわけです。

なんか書いてるうちにだんだん悲しくなってきてしまった。アンサイクロペディアは風刺とユーモアの場であって、そして風刺というのは権威とか権力に対するアンチであるべき、というのはもう古臭い考え方なのかなあ。いや、朝日新聞っていうのもひとつの権威になっちゃってるからそれをこき下ろすこと自体は推奨されこそすれ非難されるようなことじゃないんだけど、その朝日をこき下ろすそのこき下ろし方が、政府というか安倍内閣というか自民党の現執行部のやってることとまるっきり同じでしょ?あれはないわー、と思う。

まあ、だったら私が、「たかが強制連行に関する証拠とされていたものが否定されただけで、慰安婦問題を全部なかったことに出来ると考えている/日本が慰安婦問題で国際社会から批判され韓国から謝罪や賠償を要求され続けるのは、朝日や吉田が強制連行の証言をでっち上げたからだと思っている」おろかな方々についての記事をアンサイに書けばいいんだろうけど。

そこまでやるほどの熱意も時間もないんだよなあ。というわけで、愚痴でした。
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# by quix-que | 2014-09-17 15:41 | 雑BOX

最近考えていること。

最近割と本気で日本脱出を考えている。
というか、この国がこの先、自分にとって暮らしやすい国になる可能性が加速度的に低下している状況で、どうすればこの国に縛られずに生きていけるのかを考えた方がよいような気がしている。

別に中国語を勉強し始めたのはそれが理由じゃないんだけどね(というか、中国だったらむしろもっと生きづらい未来が待っているような気がする。日本も悪くなっているとはいえまだ中国よりはだいぶいいのではないかと)

あたしの英語力は日常会話がかろうじてというレベルからあんまり進んでいない(特に、外資辞めてからは勉強もしていない)ので、たぶん英語圏で生活するのは厳しいと思う。

まあ、ご存じのように、身体障害者(人工透析)というのが最大のネックなわけだけれど(だからある程度の健康保険のちゃんとしたところでないと生きていくことそのものができない)。障害年金がそこそこあるので物価の安い国であれば働かなくても生活できそうだけれど、そういう国だと医療費の負担がたいへんそうだし。
(本気になったらもうちょっとちゃんと調べる)

一番手っ取り早いのは、この年齢で適当にお金持っているヤモメの外国人getすることなんだろうけど、自分はそっち方面のスキルはまるでないからなあ。
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# by quix-que | 2014-07-17 11:18 | 生活ねた

愛しさと切なさと糸井重里

というわけで、糸井重里氏の例のあれについてのお話。
私は昨日、以下のようなTweetをしました。

@phoquesan: 私も何度でも書きますが、この糸井さんの基準は、今まさに踏みにじられつつあるマイノリティの抗議に対して厳しすぎるというか、もっと言えば踏みにじっている側を利するものとなりうるというかなっていることに無自覚だと思う。故に賛同できない。 http://t.co/Boi7lP2php

正直に言えば、糸井さんがこれを言った文脈に限定するならば、私の意見は糸井さんとそれほど異なるわけではないのです。福一の事故における放射能汚染の被害をないことないことヒステリックに言い募る側に与したいとは微塵も思わないし。
(病気抱えてるから普通の人より頻繁にX線撮影とかCTとか撮ってるので、多分被曝量もかなり多い方だと思うけど、鼻血出たことなんてありませんよ。ヘパリンとか使ってるので普通より出血しやすかったり血が止まりにくかったりするはずなのですが)

でも、それを、こういう形で規範として一般化(そういう意図は糸井さんにはないのかも、というか、糸井さん自身はあくまでも個人的な規範として語っているだけだろうとは思うけれど、糸井重里という人のネームバリューというか影響力を考えた場合、一般化された規範と受け取る人は少なからずいると思う)されてしまうと、それを問題なしとはできない、というか、良きものとして受け入れられてしまうことにとても危惧を感じるのです。

広く受け入れられている物事に対して異議を唱えるのは、それだけで勇気と覚悟が必要です。特に日本のような、同質・均質であることが重視される空気においては。それでも異を唱えずにはいられない時、行動を起こすことだけで一杯一杯で、感情的にならずに淡々と事実を積み重ねて説得したり、多くの人に受け入れられるようなスマートな手法を用いたり、ユーモアを交えて語りかけたり、という余力があるとは限らないのです。正義や正論が自分の側にあることを拠り所にしなければならないこともあるかもしれません。特にそれが、切羽詰まった問題に直面していて、追い詰められている場合には。

もちろん、罵倒や誹謗や中傷までをも容認すべき、と言っているのではありません(わたしの敬愛する故・猫が好き♪氏は「テロかテロであるというだけで必ずしも悪であるとは言えない」とかつて語っていましたが、流石に私はそこまでは言えない)。しかし、今現に追い詰められている人の抗議の声を、それが例えば、穏やかな或いはスマートな、受け入れられやすい形のものではないからと言ってはねつけてしまっても良いものなのでしょうか。糸井さんの判断基準を適用すると、そうなってしまうのですが、本当にそれで良いのか、というのが、私の言いたかったことです。

多分こんなにくどくど言わなくても、わかる人にはわかってもらえてる、と思います。200をこえたRTの全部が賛同ではないでしょうが、何割かの人には伝わったかな、と。

だけど中にはやっぱり、「多くの人の賛同を得られるような手法を取らなければダメ」という意見の人も少なからずいらっしゃるわけで。


それに対して私が考えたのは、こんなことです。流石にこれをTweetしたら罵倒されそうで怖くてかけませんでしたが。

「もっと世間に受け入れられやすい方法で主張したら」≒「俺の気にいるような方法で主張しない限りお前の主張になんぞ耳を貸す気は無い」的なね。まあこれは極論ではあるにせよ。

窮鼠が猫を噛もうとした時に、「ネズミくん、君のそのやり方じゃ誰も君の味方はしないよ。もっとみんなが君の味方をしたくなるように愛らしく、ユーモラスにやれないかい?」…ああダメだ例え話が下手すぎる。

でも、スマートな手法だのユーモアを交えた主張方法だのというのは、ある程度余裕のある、つまり強者の道具なのだ(もちろん弱者にもそれらを持つ人はいないわけではないけれども)ということは、意識の片隅にとどめておかないといけない、と思っています。
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# by quix-que | 2014-05-15 14:48

科学とか技術とか。

まあ相変わらず世間ではSTAP細胞のというか小保方さんの論文の話題がつづいているわけですが。

この件については、科学リテラシーのある人とそうでない人との認識の差があまりに大きくて、そしてそうでない人の数があまりに多くて、私はそこに(久しぶりにこの言葉を使いますが)教育の敗北が見えているような気がするのです。かつてカール・セーガンが自著の中で、日本人の科学的リテラシーがうらやましい的なことを書いていたのですが、残念ながら、今の日本からそれを見出すのは結構難しくなってきつつあるように思います(いきなり風呂敷広げすぎですがまあそれは本題ではないので流します)

この件については、そもそも小保方さんが何をもってSTAP細胞と呼んだりSTAP現象と呼んだりしているのか、という根源的な疑問(そもそも「光った。STAP細胞だ」的な認識であって他の要因での発光である可能性を排除できていないのでは、みたいなこともどこかで読んだ)さえも一部からはあるのですが、まあそこらへんは私は詳しくないので他の方の書いたものを読んでいただくとして。
たとえば http://nosumi.exblog.jp/20586616/ とか。

じゃあ私に何がこの件で言えるのか、というとですね。あくまでも一般論としてなんですけど。
(ちなみに別の角度の一般論については、http://phoque.hatenablog.jp/entry/2014/04/15/141657 に書いたのでヒマならよんでね)

ある、とても貴重なものをつくろうとして、それを実際に作ることができた、とします。

それを作れたのが1回だけだったとしたら、できたのはたまたま、偶然だとほとんどの人は思いますよね。

じゃあそれが10回だったら? 10回なら偶然ではないと思うかもしれません。でも、何回もやればたまたま10回くらいできることもあるかもしれません。
では、偶然ではないことを証明するにはどうしたらいいか。それは、「この方法でやれば、この程度の確率でできる」という方法が示され、実際にその方法でやってみたら示された程度の確率でできた」場合です。

じゃあそれが200回だったら? 200回もできたのならさすがに偶然ではないと考える人の方が多数だと思います。
だけど、それが偶然でないことを証明するのならば、10回のときと同じように、、「この方法でやれば、この程度の確率でできる」という方法が示され、実際にその方法でやってみたら示された程度の確率でできた」でなければ、偶然ではないことは証明されません。
いくら実際に200回作れたといわれても、さらに言えばその結果としての200個のできたものを見せられたとしても、それだけでは「偶然できた」のと変わりはないのです、たぶん。

たぶん、と書いたのは、私は科学の専門教育を受けたことがないから、周りにいる科学を専門とする人の話とか、放送大学で「科学的探究の方法」を学んだ(ちなみに単位認定では記述試験でまるAもらったのでそれなりにいい成績だったと思ってくださいとちょっとだけ自慢)(※ちなみにですが、「生物分子と細胞の科学」というのも履修してましてこちらもまるAでした)こととかから考えているので、全然はずれかもしれないのですが。

(もしそうだったら指摘してください)

で、ですね。たとえば日本の町工場がすごい、って話があるじゃないですか。自動機械では作れない平面を人間が手作業で作ったりとか、レンズの研磨とか、金属の絞りとか、金型作成とか、そういう、職人の技術。それはそれでもちろんすごいことだし、それが実際に日本の工業技術のクオリティに欠かせないものだっていうことについては、まったく異論はないし、それらの技術や技術者または職人はもっと社会的に高い評価と高い報酬を受けられるような社会が望ましいと思っています。

じゃあ、STAP細胞を200回も日常的に作ることができる小保方さんも、同様に高い評価や高い報酬を受けるべきなのか。
(「STAP細胞が作れることこそが重要で、論文の不備云々は些末なこと」という小保方さん擁護は、つきつめるとこういうことですよね)

結論からいえば、それは違うと思います(少なくとも私はそう考えます)。なぜならば、小保方さんの研究というのは、技術を確立するものではなく、ある理論(というか仮説)が正しいこと(或は正しくないこと)を示すためのものだからです。それも、第三者によって検証可能な形で(でなければ、嘘の実験結果や観測結果をでっちあげればどんなとんでもない仮説でも証明できることになってしまいます)。そして、第三者による検証が正しく行われるために、論文はルールにのっとったものであることが求められているのです。

いやそれは科学のルールのほうがおかしいよ、論文がルールにのっとっていようとそうでなかろうと、検証可能であろうがなかろうが、実際にものができているんだから証明されているじゃないか、という人が、あるいはいるかもしれません。
たとえば、医薬品には、なぜ効果があるのか(作用機序)がわかっていないものが少なからずあります。それでもそれらの薬は有効性が認められているじゃないか、STAP細胞もそれと同じではないか、みたいなね。
でも、それは違うのです。医薬品においては、作用機序ではなく、効果が見られたという統計的な事実は検証可能です。そしてその検証によって有効性が証明されているのです。
では、STAP細胞がつくられたことは何によって証明されているのでしょうか。実際に作られたSTAP細胞によってでしょうか?しかし、STAP細胞の実物は、論文執筆者(の一部)しかそれを見た人がいません。つまり、第三者によっては実在すること自体が確認されていないわけです。
結局ここでも、第三者によって検証されていない限り、「実際にものができている・ある」と(言うのは自由ですが)認められることはありえません。ないことの証明はできませんが、それはあることを意味しません。あることを証明するのはあると主張する側の責任です。

というか、正直私は非専門家もいいところですから、自分の文章に説得力があるとはあまり思えないのでものすごくこわごわと書いているわけなのですが。

そして、ここまですべて、小保方さん側の言っていることがすべて事実である、という前提で私はこの文章を書きました。小保方さんが言っていることがすべて事実だという前提を受け入れること自体が、かなり無理やりな譲歩をした、ものすごく小保方さんサイドに歩み寄ったものである、と私は考えています。そう歩み寄ってさえ、小保方さんの主張は到底受け入れがたいものである、というのが私の現段階での結論です。

さらにいうならば、私は小保方さんサイドの言い分がすべて事実であるとは思っていません。たとえば、200回のSTAP細胞作製成功にしても、それだけ何度も作成に成功しているのであれば、「見やすいように修正」するまでもなくより見やすい画像が存在している筈(もしそのような記録をとることなしにただ漫然とSTAP細胞を作る「作業」を行っていたのであれば、それは実験とは呼べない)です。仮に200回の成功の大部分が論文執筆時より後であったとしても、記者会見の場でそれらを示すことは可能だった(実験の方法を再現可能な形に落とし込んだ記述がない件については、特許云々で明かせないという小保方さんの言い分を認めるとしても、です)にもかかわらず、それをせずに記者会見に臨んだことはすなわち、200回n成功は少なくとも第三者に検証可能な実験ではなかった、と考えることが妥当であると思います。つまり、嘘であると。

あの記者会見で、小保方さんは自らが科学者・研究者であることを否定したと思っています。そうしてまでも彼女が守りたかったものは、STAP細胞ではなく、彼女自身の「若くして理研のユニットリーダーとなり最先端研究をしている有能な私」という自己像であったというのは、言い過ぎでしょうか。
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# by quix-que | 2014-04-16 15:44 | どっちかというと外の話

理想論だけど。

「障害は個性」っていう言葉は、好きじゃない。だって不便なだけでいいことなんかほとんどないもの。

だけど、それはそれとして、個人的に思っているのは、たとえば満員電車に乗っている人の中には、背の高い人もいれば低い人もいる。痩せた人も太った人も、荷物の多い人も手ぶらの人もいる。車いすだって、それと同じじゃないのかな。

満員電車に乗っている車いすの人は、人口比に比べるとかなり少ないと思う。だけどそれは、本来おかしい。というか、おかしいと思わなきゃいけない。もっと車いすの人が電車に乗っていてしかるべきだし、そういうのが当たり前でないといけない。

(これは車いすに限った話ではないのはいうまでもありませんが)

自分も障害者のはしくれで、障害者専門の就職支援サービスを何度か利用したけれど、障害者雇用の求人の場合も「公共交通機関での通勤が可能なこと」っていう条件がついてることが多い。そして、これがネックになっていることってたぶんかなりあるんじゃないのかな。

公共交通機関はもっとハンディキャップのある人に利用しやすくなるべき、というか、そういうのが当たり前でないといけないと思う。
建前のきれいごとなのは百も承知。だけど、こういうことを誰かが言い続けないと、この元増田みたいな声はいつまでもなくならないどころか、最近の「誰かが配慮されると自分の権利が不当に損なわれたかのごとく攻撃的になる」風潮(まあ、ネットで声のデカい人にたまたまそういうのが目立つだけかもしれないけど)を考えると増える一方かもしれない。

だから、ちょっと書いておきました。
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# by quix-que | 2014-03-20 11:04 | もの申したいこと

not only~ but also~

(タイトルには意味はありません)

出入り口に「~only」って書いたら、それは「~しか入れません」「~以外立ち入り禁止」の意味でしょふつう。
あれが「日本人だけで試合してます」とかの意味だと強弁する人は、お店のドアとかにある「staff only」の札を見て、「ああこの店はスタッフだけで運営してるんだな」と思いますか?

外に向けて発信することは「どう見えるか」がすべてです。そして、外に向けて発信した以上、見る人は、発信した側の意図を斟酌してくれる人とは限らないというか、そうではない人のほうが多いわけで。
そこらへんの想像力が決定的にかけている人が、声の大きさにものを言わせていろいろやらかしているというのが、外交から何からいろんなところに出てきちゃってるのが今の日本なんだろうなあ、と。
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# by quix-que | 2014-03-10 10:03 | スポーツ話

人の上に立つ人に求められることとは(おおげさ)

さっきこのブログを読み返していて、あたし3.11前には盛大に菅さんdisっているなあと。いや、実際さあ、首相になったころの菅さんって、なんか権勢欲に取りつかれたみたいですごくいやだったのですよ。

今となれば、それも、思うように動かない(どころか、逆にこっちを動かそうとしている)官僚に業を煮やしてというか、イライラさせられ通しだったのだろうとか想像できるわけですけどね。

そして、それでもなんとか打破して動いた結果が、福一のベントであり、東電撤退拒否だったわけです。
それだけでも私は、あのときの首相が菅さんでよかったと心の底から思っているのです。
(仮定の話ですけど、自民党首相であれば東電の言うままになっていた可能性は高いと思うし、鳩山さんだったら、あるいは野田さんだったら、官僚にいいようにいいくるめられていたのではないかと)

で、さて。今回の大雪災害ですが。

安倍ちゃんが陣頭指揮とったところで何もできない、とか、ちゃんとスタッフが動いているのだから対策本部に詰めていなくても連絡の取れる場所にいればいいのだ、とか、それは一応正しい。正しいけど。

でも、あの首相動静はどうかと思う。来客がなく特に何もせずに一日家にいて、その後支持者と会食、ですよ。せめて、「大雪の影響について報告を受けた」とか「緊急の対策をとれる準備をしておくよう指示をだした」とかの一言があったらだいぶというかかなりというか全然違ってたのではないか。緊急事態が起きているので会食の予定を延期したとかだったらbetterだけどそこまではまあ求めない。

つまりそういうことなんだ。あれを「天ぷら食べたら批判された。じゃあなんだったらいいのか?塩むすびか?」とかバカなことを言って反論したつもりになってる人とかもいるけど、批判してる人(の多く)は、「雪で大変な思いをしている人もいるのにのんきに高い天ぷらかよ」と言っているのではなくて、大変な状況になっている人がいるのに、そっちに向けて何かのアクションをするよりも、「支持者と会食」つまり自分のお仲間お友達、自分をいい気持ちにしてくれる人とのおつきあいを優先させた、ってことが批判されてるわけですよ。

要するに、「あなたはどっちを向いて政治をしているのですか」ってことなのです。それが端的に表れてしまったのが、今回の出来事だったと思います。
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# by quix-que | 2014-02-18 10:16 | どっちかというと外の話

妄想。

地下鉄サリン事件を知らない人ももう大学生になっているんだなあ。と思いつつ。

あのころ私たちは、オウム(を含むカルト宗教)に入信する若者について、いろいろな話をした。
人は閉塞状況を打開するためならば、たとえそれが悪い方向に向かうものであることがわかっていたとしても、変化することを望むこともあるのだと、少なくない人が語っていた。

「終わらない日常」なんて言葉もあったっけ。

あれから何が変わったのだろうか。

今や、終わらない日常でさえ、贅沢なものとなりつつある。一歩後ろに下がれば堕ちるしかない崖っぷちに立たされる人も少なくなく、閉塞していればまだマシな方なのかもしれない。

そんな中で、まだマシな閉塞状況の人たちが、ヘイトスピーチに走っているのではないか、というのが私の今回の妄想。

「ネトウヨは底辺」っていう決めつけにはネトウヨ側からの反論も出されているけれど、それには一理あるとも思う。多分、まだマシな閉塞状況の人が、それより上の恵まれた逃げ切り組に対する反発心から、閉塞状況の打破のために、近隣国家との緊張関係を望んでいるんじゃないだろうか、みたいな。

自分の国が褒められればうれしいし、くさされれば悔しい。それはどこの国だって同じでしょう。
でもヘイトスピーチにいそしんでおられる方々は、他の国のことは考えない。他の国をdisって自分の国を持ち上げれば、周りもそう考えてくれるべきである、みたいな、みっともないブヨブヨの自己肥大を抱えていられる余裕があるのは、まだそこには終わらない日常があるのではないでしょうかね。

いや妄想だけどさ。
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# by quix-que | 2014-02-13 10:35 | ネタ

この年でまだ恋をしたいと思うこと。

割と身もふたもなくいうと、このところ華ドラのイケメン俳優にキャーキャー言ってるのは、自分にまだ人を好きになる感情が残っていることを確認したい、みたいなことがあるのかな、と。

考えたら若いころとか、あんまりアイドルとか夢中にならない人だったわあたし。まあそりゃ、いいなと思うタレントさんとかいなかったわけではないですよ。でもなんか、ファンといえるほどではなかった、ずっと。

そういうのを、今取り戻してるのかもしれない。いやだってかっこいいですよ林更新。


好きなCMで、それなりにお年を召された女性(外国人)が、「私もこれから恋をするかもしれない」みたいなことを言うのがあって、あれをみて、あああたしもまだ恋をするかもしれないな、とか考えたりしていたけど。

しかしまあ、現実にはそんなに簡単にはいきませんわね。
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# by quix-que | 2014-02-10 12:56 | 雑BOX

「赤ちゃんポスト」という呼称について。

これもうずいぶん前から何回も言い続けているので、私と親しい人には耳にタコかもしれないけど。

いわゆる「赤ちゃんポスト」と呼ばれるものについて。

すくなくとも日本国内では、そういう呼称で呼ばれるものは、ただひとつしかないわけですよ。
そしてそれには、「こうのとりのゆりかご」という正式な名前が付けられている。
この名前は、ポストという「お手軽に投函する」イメージからくる、安易な子捨てであるとか、いらない子供であるとかの印象を避けるための配慮がされている、と誰でも思うはずです。

にもかかわらず、毎度毎度、これに関連する話題がマスコミに出るときは、あたかも一般名詞であるかのように「赤ちゃんポスト」という呼称がまず使われ、申し訳程度に正式名称の「こうのとりのゆりかご」に言及されることがある(されないこともある)。

これ、おかしくないですか?

ただひとつ、それしかないものであり、類似のものがなく、正式な固有名詞が存在するものを、わざわざ通称(それもいささか揶揄的な)をあたかも一般的な呼称であるかのように使うのはいかながものなのでしょう。

野島伸司に今更なにかを期待しているわけではないのだけど、例のドラマに言及するのに、こうのとりのゆりかごがある病院について、「赤ちゃんポストを設置している病院」という表現を何度かみかけて、いやだからそうじゃないし(いらいらいらいら)となっているのです。

この気持ちをわかってもられるでしょうか。
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# by quix-que | 2014-01-22 16:49 | テレビっ子

センチメンタル

ずいぶんと長い間、その人の名前を思い浮かべるだけで涙が出てくるというくらいに想っていた人がいて、で、全然縁がなくなってしまってから20年くらいの時間が流れて、去年ふとfacebookで再開したわけなのですが。

もともとマッチョな考え方の部分が見え隠れする人ではあったのだけど、その縁がなくなっていた長い長い間に、私の中での彼の人間像は美化されていて、そして現実の彼はマッチョな部分が大きくなっていったようだった。(なんかいわゆる九州男児の悪い面みたいなのが典型的に出ているというか)
まあ彼も家庭を持って、昔と同じではないのはわかるのだけれど。というか、昔の私が彼をどのくらい知っていたのかもこうなってくると疑問なんだけど。

某テレビでの竹田某の発言に対する抗議の文章をシェアしたところ、そこについた彼のコメントが、なんというかすごく読んでいてつらくなった。

在日が抗議活動を起こすのは藪蛇になっていろいろ暴かれ、静かに日本に同化している在日にとっては迷惑なものだろうとか、在日が嫌われるのは朝鮮民族だからではなく云々とjか。

あたしはミョンス先生についてもそのマッチョさに多少の嫌悪感を覚える部分があって現在はツイッターではフォローしていないのだけど、それでも先日の朝日新聞に載ったミョンス先生の同調圧力として現れる差別についてはものすごく深くうなずいたものでした。

その後だっただけに、「権利を主張する在日」と「地域に溶け込んでいる在日」という対立構図を描き、前者を後者に対して迷惑なものとして扱うあの人の考えに、なんかもう埋められない深い溝を感じてしまったのでした。

とまあ、いい歳して昔の片思いの相手について愚痴ってみました。

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# by quix-que | 2013-10-28 16:26

無事に。

というわけで、Amazonで頼んだドックコネクタと工具セットが届いたのでやってみましたよ。

あっさり、とはいかなかったものの(同じような感じの微妙に違うねじの細かさに手間取った)でもなんとかできた。

これで32GBのiPhone4sが復活したので、これからこれを、シムロック外して安いSIMで使おうかと思います(予定は未定)
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# by quix-que | 2013-10-15 10:10 | 雑BOX

ちょっと無謀なこと。

ええと、8月某日、あと1月以内には新しいiPhoneが出るのがわかっていたのにあえてiPhone5を買ったわけですが、その理由は、愛用の4Sが充電できなくなったからでした。

一応アップルストアに持ち込んで確認したところ、バッテリーも基盤も大丈夫だけどドックコネクタが死んでいる、ただしドックコネクタの交換は中身全交換になるので17800円、とか言われたので、ならいっそ新しいのにしようかと思ったわけですね。

で、iPhone5(5Sでも5Cでもない)とPocket Wifi併用で、つまりモバイルデータ通信を完全オフにした状態で使っているわけですが、お金けちって16Gにしたので、アプリたくさん入れるとアップデートができなくてそのたびになにかを消さなければならない、という…。

で、たまたま探してたら、ドックコネクタの交換方法を説明しているサイトを発見し、コネクタとか工具とかはアマゾンさんでそんなにお高くなく入手できることがわかりました。

というわけで、とどいたらちょっとやってみます。だめもと。
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# by quix-que | 2013-10-09 14:09 | 雑BOX

前の仕事を辞めたわけ

前の仕事を辞めた理由、まあいろいろあるのですが。
とりあえず、一番大きいのは、メンタル的にプレッシャーがキツくて仕事いけなくなった、というのがあるのですが、そこに至るまでにいろいろあったわけで。

まず、あたしが契約社員として入社した半月後に、同じく障碍者雇用で入社した契約社員がいたわけですね。
年齢は私よりずっと下。彼は視覚障碍者で、マッサージの資格を持っています。
で、彼の仕事は社員の福利厚生というか、マッサージを希望する人に施術して、あとは健康だよりみたいなエッセイをイントラに載せるとか、そういう感じなわけです。マッサージは、多くても週に5人くらい、それ以外の時間は、個室で一人で音楽きいたりしてるわけですよ。

かたやあたしは、人事関係の事務の細かいこと、たとえば異動通知を出したりとか、組織図を改訂したりとか、ウェブで勤怠報告をするシステムの入力もれチェックとか、健康診断の請求書を処理して健保組合に補助金を申請したりとか、会社補助の英会話学校とか通信教育とかの、申し込み手続きのとりまとめとか補助金の申請を処理したりとか、住所変更や扶養家族の変更、通勤費の変更などの届けの処理、そのほかに、人事データベースの管理運用とか(というか古いバージョンのファイルメーカー使ってたからそれを新しいバージョンにするついでにデータベースを見直して設計したりとか)とかやってたわけです。そのほかにも、単発でポスター作ったりとか、税務署に提出する資料作ったりとか。

で、あたしの時給は、前述の彼の7割位なんですよ。ありえないでしょ?

安い給料でなんでもやれる(辞めるころにはエクセルにもパワポにも部署内で一番詳しくなっていたし)、というわけで便利につかわれていた上に、業務フローの洗い出しと改善提案なんてものまで私にまわってきたんですよ。

これって、時給1360円くらい、賞与退職金なし、でやっていい仕事じゃないでしょ。

直属の上司であるところのマネージャーは、「○○さんも、ただ給料のために与えられた仕事をこなすだけじゃつまらないでしょ?うちの会社はフラットだから、契約社員だからとかそういう区別はなしに、どんどん仕事まかせたいと思うんだ」とか言っていたわけですが、いや正直、そんな給料もらってませんから。まかされるのならば給料出すとか身分保障(正社員とかね)するとか、そういうのなしに、仕事だけ増やされて責任だけ重くなるとか、ありえないでしょう。

たぶん仕事やめたくなった最大の理由は、そこらへん。あたしの仕事をあたしのレベルでやる人を雇おうと思ったら、たぶん時給倍くらい出さないと無理だと思う(という程度には仕事できると自負してる)。安い時給でも一生懸命やったら認められる(時給上がるとか正社員登用とか)かと思ってやってきたけど、全然そんな気配もない(業界的に日本支社はいつなくなってもおかしくない状況だし)。

まあ、その昔時給800円でDTPにリライトに校正にカバーデザインにチラシ作製にサイト管理までやってたのと比べるとまだマシなのかもしれないけど(その時はかれこれ5年くらい1円も時給があがらなかった)、あのときは週3回で自分の好きな時だけ仕事してるような感じだったからプレッシャーみたいなのはなかったのよね。
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# by quix-que | 2013-09-26 12:31 | 雑BOX


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