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森友学園の件について

というわけでね、久々にこっちにも書いてみるわけですが。

森友学園への国有地払下げ問題は、財務省による決済文書の改竄という新たな局面になってきたわけです。この事件および加計学園の件については、交渉の過程で作成された文書がことごとく廃棄されていて、取引が正統なものであったかどうかが検証不能となっていたこと、検証不能をいいことに、なんの疑惑もそこには存在していなかったことにされてきたのがこの1年くらいのことだったわけですが、少なくとも森友学園については会計検査院より値引きに正統性がない、そもそも値引きの根拠となったゴミの量の調査がマトモに行われていなかったことまでははっきりしていて、そこままいけば、少なくとも近畿財務局とかは無傷ではいられないだろうなという感じではあったけれど、逆にその先の追及は難しくなっていたのではないか、という雰囲気になっていた、というのが公文書改竄が明らかになる前までの私の認識だったのですが。

ここへきて明らかになった決裁文書の改竄問題、これについて個人的な見解を書いてみようと思います。

まず、改竄前の文書によって「自分も妻も関与していないことが明確になった」という安倍首相の発言から。えーと、これははっきり言って無理があると思います。なぜならば、全く関与がないのであれば、たとえ伝聞情報としてであっても「昭恵夫人の言動」を記載する必要はないわけです。当該案件に無関係な私人の言動であり、しかも伝聞にすぎない、決裁内容にまったく無関係な雑談や世間話をわざわざ決裁に係る文書に記載するというのが財務省では一般的に行われているというのであれば、「関与はない」と考えることは可能(だけれども「関与がない」ことを明確に示すわけではない)ですが、伝聞という形ではあってもそこに昭恵夫人の言動を記載する意味が、少なくとも決裁当時にはあった、ということですよね。「関与していたことは立証できていない」けれども、「関与がなかった」ことには全然ならない。

前後しますが、一部に「改竄されたのは別添文書であって、決裁書そのものではないので何の問題もない」とかいう主張があるようですが、ツイッターでは書いたけど、決裁書っていうのは論文でいえばレジメみたいなもので、論文の本文にあたるのは、別添文書です。決裁によって示された決定に至るまでの経緯や根拠や判断材料としての資料等は具体的には別添文書に示されているものです(そうでない決裁文書というのもあるのかもしれませんが)。

で、新しめのところへいくと、和田政宗議員、でしたっけ。彼によれば、財務省は安倍政権を倒すためにわざと文書を改竄した、ということらしいのですが。いや国会でこんな情けない陰謀論を展開されるとは思いもしませんでした。この人の言ってることを事実だとすると、安倍総理が「もし私や妻がこの件に関与しているとしたら総理も議員もやめる」と発言する以前に、決裁にかかる文書に”実際には全く関与していない昭恵夫人があたかも関与していたかのように匂わせる文章”を、わざわざ”総理発言があった後に削除し、後日改竄が明るみになった際に安倍総理を窮地に追い込む”ために記載しておいた、ということになっちゃいます。財務省にはそんなすごい予知能力のある人がいたんでしょうか。
(そして、なんか残念なことに、程度の差はあれこの「財務省が安倍政権にダメージを与えるために改竄した」という意見に同意してる人はホントたくさんいる)

ホントは他にも書きたいことはある(「ゴミのせいで価値のない土地なので、買ってくれるところならばどこでもいくらでもよかった」とか「部落問題が絡むいわくつきの土地であることが『特殊な事情』の示す内容であり、(以下同文)」とか言ってる人が本当にわらわら沸いていてホントに見ていて情けない)けど、とりあえずこのくらいにしておきます。



# by quix-que | 2018-03-19 14:22 | どっちかというと外の話

この前見た夢。

何日か前に見た夢なんだけど。
自分は何かの(おそらくは政治犯的な)理由で囚われの身となっていて、親しい女の友人(なんか芸能人の誰かだったような気がする)も一緒につかまっていた。で、本当は罪に問われるようなことはしていないという自信が二ロともにあったわけだけれど、なんか野蛮な国家になっていて、裁判もなしに死刑になることが決まってしまい、それでもどこかで「正しく調べれば自分たちが死刑になるはずはない」と思っていたのに、なんと夕食前に二人とも死刑執行されることとなり、石積みの円形の部屋に連れてこられてしまって、そして死刑の執行方法は目隠しをされて首を前にだし大きな刀でばっさり首を切る、という方法で、私は目隠しをされながら、考えていたことが「せめて死ぬ直税の最後の瞬間まで自分が何を考えていたのかを認識していたい」とかで。え、首をはねられてそこでいったん意識が途絶えるのだけれど、すぐにどこかの平和な村で子供として野原を駆け回っている、
というそんな夢。で、その野原を駆け回っている子供の自分は死刑になった時の記憶を持っているわけです。

うまく説明できないんだけど、私の意識の中に、「私が死んだとしても、おそらく私と同じ思考の人間がどこかにいて、その人は私の記憶をひきついではいないとしても、私と同じ思考であるとするならばそれは実質的に私だと言ってよいのではないか」みたいな。オカルトというよりも、私という個の意識や記憶がこの世から消えたとしても、別のところに同じ感覚や同じ思考の人がいるのだとしたら、思考それ自体はこの世に引き継がれていく(他の人によって)というようなことを考えているのね。

死んだら自分が無になるとは考えてない。どこかで私の書き残したものを読んで考えに触れてそこから影響をほんの少しでも受ける人がいるとすれば、そこに私の思考が残ると思ってる。そういう意味では死ぬことは怖くない。

それを自分が知れないことと、あと、これからは新しい経験をすることがないのだという意味において、死はさみしいけれど。

# by quix-que | 2018-02-14 18:30 | ネタ

バカ試合応援宣言

今岡がロッテの二軍監督になったそうです。あの天才肌で天然な今岡さんが指導者とかなかなか難しいと思うのですが、でもこの前までもゴーチだったのよね。不思議。

…はおいといて。個人的に今年、野球に対する考え方が大きく変わったことがあります。それは、「バカ試合をバカにしない」というか、「バカ試合こそが面白い」っていうことです。
 まあ私もそこそこ野球詳しい人だったわけで、息詰まる投手戦とか結構好きなんですが(息詰まる度でいうと思い出すのは、西武の西口と楽天の一場が投げ合ったやつ)、それって、ある程度以上野球に詳しい人でないと面白くもなんともないんじゃないか、と思うようになってきたのです。特に、球場で見ている時は。
んまりよく野球しhらない人が友達に連れられて球場で生で試合を見ていても、時間とかそのくらいの時間ほとんどヒットも出ないのを見続けていて楽しいと思えるのは相当特殊な、ほとんどありえないことだと思うんですよ。
 それに引き替えバカ試合。ヒットはたくさん出て塁上をランナーがにぎわせている。ピッチャーも何人も出てくるし、代打も出てくるし、どっちのチームにも点が入って、6点差が2点差になって1点差になって追いついて逆転して、そこでまた再逆転があって、とかのほうが、絶対に見ていて面白いと思うのです。
 というわけで、今年から私は、バカ試合を応援することにしました。私がバカ支配の楽しさを理解できるようになったのも、阪神タイガースが誇るバカ試合メーカー秋山投手のおかげです。

# by quix-que | 2017-11-01 12:15 | スポーツ話

「夫のちんぽが入らない」についての感想など。

話題になっていた本、それも結構絶賛の嵐なので、読んでみました。
で、感想ですが。

とりあえず面白く読めたんだと思うんですよ。あっという間に読み終えてしまったし。

なんですが、読後感がものすごくモヤモヤしている。

私小説というかノンフィクション的なエッセイ的なものなのでしょうが、これが全部事実であると想定して。

筆者は、自分のことをものすごくダメな人だと思っているわけです。最終的には、不満がないわけではないがある程度幸せであるというところで自分を肯定しているようなのですが。

なんだけど、そもそもこの人、自分のことをダメな人だと思っているにもかかわらず、想う相手から想われてその相手と結婚してるわけですよ。結婚生活が順風満帆ではないにしても、とにかく「想い想われる相手、自分の良さを理解してくれる相手と、家庭を作る」ということができているわけです。

それって、自分にはどんなに望んでも手に入れることができず、今後も絶対に手が届かないもの。

彼女が彼女自身のことをダメな人間であると書けば書くほど、そのダメな人である彼女にさえ得られた幸せがえ、自分には到底手がとどかないものであることについて、傷口にサンドペーパーをかけられるような痛みにさいなまれるのです。

多分だけどそれは、この本が悪いのではなくて、私の側の問題であるのだけれど。

多分だけど二度と読み返すことはできないと思います。そのくらい、私個人にとっては、「辛い本」でした。



# by quix-que | 2017-01-23 13:53 | 雑BOX

さらばアンサイクロペディア、にはしたくない。

結構長いことアンサイクロペディアの管理者をやってきていたのだけど、一昨年くらいから投稿の頻度が落ち、去年あたりは閲覧もめったにしなくなり、管理者も休職扱いとなっているのですが、それはさておき。

久々にアンサイを覗いてみて、ちょっと悲しくなった。とある古参ユーザーが書いていた記事のことである。

もともとこの人は現在進行形の出来事についてノリノリで長い記事を書くタイプの人ではあったのだけど、それがプラスになることも少なくはなかったとはいえ、時々は独りよがりになっていた、と思う。ただ、それを独りよがりだと感じるのは私だけの個人的な感覚なのかもしれないとも思ったし、何よりその人は量産型の貴重な書き手、それも私よりは表かの高い書き手であったために、批判をすることははばかられた。要するに何も言えずにいたわけです。

でも今回、久しぶりにアンサイを見て(というかだいたいは「最近の更新」しかチェックしないのだが)、たまたまその人の新規記事が目に入ったのだけど、タイトルを見て、すごくいやな予感がした。そして中を見て、いやな予感は的中というか思っていたのよりさらにいやなシロモノだった。でもって、この人の特徴として、長くなりすぎると分割というか派生記事を書くわけだけど、今回もそれ。よほど書いてるのが楽しいのか、数千バイト単位の加筆を日に複数回している。

まあね、朝日新聞の一連の誤報問題はおちょくるには面白いかもしれませんよ確かに。でも、それを書くのに、ああいう直截な表現で批判するのは、それはアンサイの記事じゃないでしょう。朝日新聞批判がやりたいのなら、アンサイの記事でダラダラやらずに、自分でブログ立ち上げてやってくれないかなあ。

しかもね、結局彼の記事の論調は、ネトウヨさんたちとあまりというかほとんど差がないわけです。

なんか書いてるうちにだんだん悲しくなってきてしまった。アンサイクロペディアは風刺とユーモアの場であって、そして風刺というのは権威とか権力に対するアンチであるべき、というのはもう古臭い考え方なのかなあ。いや、朝日新聞っていうのもひとつの権威になっちゃってるからそれをこき下ろすこと自体は推奨されこそすれ非難されるようなことじゃないんだけど、その朝日をこき下ろすそのこき下ろし方が、政府というか安倍内閣というか自民党の現執行部のやってることとまるっきり同じでしょ?あれはないわー、と思う。

まあ、だったら私が、「たかが強制連行に関する証拠とされていたものが否定されただけで、慰安婦問題を全部なかったことに出来ると考えている/日本が慰安婦問題で国際社会から批判され韓国から謝罪や賠償を要求され続けるのは、朝日や吉田が強制連行の証言をでっち上げたからだと思っている」おろかな方々についての記事をアンサイに書けばいいんだろうけど。

そこまでやるほどの熱意も時間もないんだよなあ。というわけで、愚痴でした。
# by quix-que | 2014-09-17 15:41 | 雑BOX


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